管理セクション
福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0066
資料群名
鹿野康久家文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡吉崎浦,吉崎村吉崎,あわら市吉崎(金津町)
資料の年代
1735年(享保20)~1884年(明治17)
資料目録件数
539
組織歴および履歴
吉崎浦は越前国の最北端、加賀との国境に位置し、北潟湖北部東岸にある。村高252石余、江戸時代を通じて福井藩領である。1773年(安永 3)の「村鏡」によると、家数191、人数801で農業・漁業以外に廻船業・酒屋・油屋・鍛冶屋・木挽などの商工業者もおり、吉崎御坊の門前町として栄えた。その他、浦には渡海船や渡舟もあり、北潟湖では蠣の養殖が行われていた。
鹿野家は高島屋と称し、吉崎浦の庄屋を務めるとともに廻船業を営んでいた。
鹿野家は高島屋と称し、吉崎浦の庄屋を務めるとともに廻船業を営んでいた。
資料群の概要
撮影資料の大半が、廻船業の売買の仕切状や目録、相場や船の動向を知らせる書状類であり、万延期から明治初年までの10年ほどに集中している。文書群は、おもに(1)廻船業関係、(2)村方文書に分けられる。
(1)では撮影した約20冊の「買仕切覚帳」「売仕切覚帳」などの長帳類は当家所蔵の長帳類のごく一部であり、サンプル的な撮影となっている。また一紙文書の仕入覚や売買の仕切状は250点ほどあり、津軽青森・松前では米・酒・砂糖・木綿などを売り、松前からは鯡粕・筒鯡・身欠などを積んでいたことがわかる。書状類は1860年代に集中して約200点が残存している。吉崎の高島屋専右衛門と息子の沖船頭太神丸専次郎,住吉丸勘右衛門との間で交わされたものをはじめとして、船主の南部野辺地の野村屋、青森の滝屋、松前の塩越屋、兵庫の北国屋、などとの間で、船の動向や商品の相場について頻繁な情報交換が行なわれていたことがわかる。
(2)では1865年(慶応1)前後の「庄屋支配高并雑家帳」「御物成小物成銀取立帳」などのほか、1726年(享保11)の北潟湖での漁・蠣塚設置に関して福井藩からの覚書、浦方通行に関わる争論の願書・証文類が含まれている。
約270点が否撮資料であり、このうち約200点が19世紀に入ってからの廻船業関係の長帳類である。
(1)では撮影した約20冊の「買仕切覚帳」「売仕切覚帳」などの長帳類は当家所蔵の長帳類のごく一部であり、サンプル的な撮影となっている。また一紙文書の仕入覚や売買の仕切状は250点ほどあり、津軽青森・松前では米・酒・砂糖・木綿などを売り、松前からは鯡粕・筒鯡・身欠などを積んでいたことがわかる。書状類は1860年代に集中して約200点が残存している。吉崎の高島屋専右衛門と息子の沖船頭太神丸専次郎,住吉丸勘右衛門との間で交わされたものをはじめとして、船主の南部野辺地の野村屋、青森の滝屋、松前の塩越屋、兵庫の北国屋、などとの間で、船の動向や商品の相場について頻繁な情報交換が行なわれていたことがわかる。
(2)では1865年(慶応1)前後の「庄屋支配高并雑家帳」「御物成小物成銀取立帳」などのほか、1726年(享保11)の北潟湖での漁・蠣塚設置に関して福井藩からの覚書、浦方通行に関わる争論の願書・証文類が含まれている。
約270点が否撮資料であり、このうち約200点が19世紀に入ってからの廻船業関係の長帳類である。
県史収載
資料編4 P.504-514 3点
県史以外の収載
『金津町史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
C0489~C0511
関連資料一覧
縮小画像の表示/非表示
表示
件
表示順