久保文苗家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0064
資料群名
久保文苗家文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡鷲塚村,春江村藤鷲塚,坂井市春江町藤鷲塚(春江町)
資料の年代
1641年(寛永18)~1921年(大正10)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
鷲塚村は、北を兵庫川、南を九頭竜川の支流磯部川に接する坂井平野の一農村である。江戸時代には、はじめ福井藩領、1686年(貞享 3)幕府領、97年(元禄10)葛野藩領、1705年(宝永 2)幕府領、1820年(文政 3)福井藩領である。村高は1406石余。幕末には藤鷲塚村とよばれている。
久保家は、江戸後期に庄屋役や大庄屋役を務めた家柄である。当家は江戸中期以降、鷲塚村だけで100石以上の高を所持し、坂井平野における有力な豪農の一人であった。居村内の所持高の一部を5、6人の下男、下女とともに手作りし、残りを多くの小作人におろしていた。天保期以降になると居村以外の高(越石)をも所持するようになった。越石の範囲は多い時には34か村にわたり、地域的には坂井郡がほとんどであったが、足羽郡の福井松本地方や吉田郡上合月村にもあった。これらの越石の一部は質流れとなって久保家の高となったものだが、大部分は5-10年の年季を限って久保家に預けられたものであり、年々変化している。
また、江戸後期には商業活動を含む多角経営を行っていたことでも知られる。天保期以前には衣類・農具などを質にとって金銀の貸付を行っていたが、天保期以降はこれにかわって高を質にとるようになり、返済不能の借銀は久保家の越石を増加させることになった。1825年(文政 8)大福帳によれば、地主としての収入よりも金融・商業によって得た年間収入のほうが上まわっていた。これは当村が兵庫川によって三国湊への水運に恵まれていたからで、当家は三国の商人などと共同で廻船を所有し、大きな利益をあげたようである。また、当家は大名への貸付も行っており、このため福井藩からは、文政-天保期に産物元締役、御札所元締役、御用達などを命じられている。
近代に入り、自由民権運動で有名な杉田定一の母は、久保家の出身である。
資料群の概要
約1290点を調査、内617点を撮影した。1641年(寛永18)の「鋳物師政法定」を初出とするが、文書の大半は正徳期以降のものである。大別すると、(1)村方関係(用水・出入り・貢租など)(2)志比堺村鋳物師株関係(3)福井・丸岡・鯖江藩財政関係(4)商業関係となる。
(1)では、1755年(宝暦 5)に鷲塚村など4か村と西長田村など6か村との間に兵庫川の井堰切落しをめぐって争論がおこっている。この争論は江戸評定所まで持ち込まれ、57年に和解しているが、このときの訴状や和解証文が残っている。ほかに、鷲塚村の村締りや、貢租関係として1834年(天保 5)の福井藩給人岡部家知行地の年貢の納方を記した目録などがある。
(2)では、志比堺村の清水四郎平から借金の質物として鋳物師株を譲り受けたときの証文などがある。
(3)では、丸岡藩・福井藩・鯖江藩への調達金に関わる文書が多く残っている。なかでも、1837年(天保 8)当家が、丸岡藩の金銀調達や財政改革について大坂の伊丹屋四郎平・大和屋清右衛門・難波屋覚兵衛・豊島屋与七郎・加島屋熊七らと意見を交換したたいへん興味深い留書がある。
(4)では大福帳などがあげられる(否撮)。このほかに近代のものとして、地券、公債証書関係文書、兵庫川井堰関係文書、坂井郡会議規則などがある。
否撮文書のなかには、文政期から明治初期にかけての大福帳(前欠・後欠のものが多い)、用水・井堰関係の一紙文書、仕切状など廻船・商売関係の文書、年貢の割付状や皆済目録、おろし米関係の文書のほか村締りや借金証文などがある。とくに、大福帳類は久保家の多角経営の状況を知るうえで興味深い資料であると思われる。
利用条件
 
県史収載
資料編4 P.848-899 19点、通史編4 P.97・P.186-188・P.190・P.215・P.372・P.374・P.400・P.450・P.760
県史以外の収載
藤野立恵「丸岡藩における天保八年(一八三七)の改革」『福井県地域史研究』5、藤野立恵「越前における一豪農の盛衰」『福井県地域史研究』第7号、『春江町史』
複製本番号
C0472~C0476、C2843~C2855
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。