龍澤寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0062
資料群名
龍澤寺文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡御簾尾村,坪江村御簾尾,あわら市御簾尾(金津町)
資料の年代
1368年(応安1)~1872年(明治5)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
龍澤寺は曹洞宗寺院で開山は梅山聞木(ばいざんもんぽく)であり、永平寺三世の徹通義介から瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)、峨山韶碩(がざんじょうせき)、太源宗真、梅山と子弟関係がつながる。「由緒書」によれば、1385年(至徳2)に、この地の土豪小布施氏を旦那として創建されたという。梅山が京都でも知られる名僧であったことは、足利義満の七回忌法要を務めるよう将軍より再三にわたり要請を受けていることや(「斯波道孝義教書状」など)、梅山所持の観音仏の霊験が京都にも知られていたことからもうかがえる(『碧山日録』長禄三年十月十八日条)。さらに1458年(長禄2)には室町将軍の祈願所とされている(「龍澤寺重書目録」『碧山日録』長禄三年十月十八日条)。
1581年(天正9)の「龍澤寺勧化帳写」によれば、末寺は遠江・三河・尾張一帯に分布し、越前では龍雲寺(現芦原町)・棟岳寺(現今庄町)・琴峯寺(現三国町・金鳳寺)・福聚寺(現丸岡町)と現在廃寺になっている宝泉寺・宝持寺・長徳寺・松隠寺の八寺が記されている。
資料群の概要
資料編解題は当寺伝存文書約80点とする。しかし、調査カードで確認するかぎり、撮影資料は73点で、否撮カードはない。
資料編には、梅山関係文書のほか、寺領関係、朝倉・織田・柴田の諸氏の安堵状など中世文書を中心に48点が収録されているが、1557年(弘治3)「龍澤寺重書目録」に記載される文書のうち寄進状、諸名代一行および朝倉氏時代の判物・土地台帳など、その後失われたものがある。
1485年(長禄2)の「越前州坂北郡坪江郷御簾尾村平田山龍澤禅寺所領之帳」は、耕地一筆ごとに斗代・分米・作人など寺領の収納のありかたと、「公方年貢」「政所年貢」など荘園領主への上納分を記しており、この時期の寺領の実態をよく示している。これによれば、寺領は御簾尾村のほか、河合庄(現福井市)・榎富庄(現春江町)の所々に散在し、総田数は37町余、分米は410石余、ほかに榎富中庄本所方分米255石余を数える。この長禄2年末は、越前では守護斯波義敏方と守護代甲斐常治方との合戦のさなかであるが、この年の春、幕府は「寺社本所門跡領以下」の不知行地の「還付政策」をとったことから、合戦によって混乱している寺社が自らの所領安堵を求めた際の、寺領目録と思われる。
このほか、小澤施氏関係文書、越前の歴史的事件にも言及している「龍澤寺前住帳」、中世末・近世初期と推定される「龍沢寺寺敷絵図」などが資料編に掲載されている。
これ以外の近世資料として、福井藩主松平忠昌・光通・昌親・綱昌の諸役免許状、梅山の絵伝略縁起などや、明治初年の「境内御畑検地帳」「由緒書」がある。
利用条件
 
県史収載
資料編4 P.633-677 48点、通史編2 P.532-533・ P.549・P.601・ P.670-671・ P.755・ P.792・ P.907・ P.930-931・ P.936・ P.949・ P.968、通史編3 P.22-23 ・P.35・ P.627・ P.655
県史以外の収載
『越前若狭古文書選』 『金津町史』 『曹洞宗古文書』 『越前龍澤寺史』
複製本番号
C0470~C0471
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。