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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0051
資料群名
佐藤禮三家文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡高塚村,細呂木村高塚,あわら市高塚(金津町)
資料の年代
1700年(元禄13)~1944年(昭和19)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
高塚村は、金津の北に位置し、江戸時代を通じて村高567石余で、1686年(貞享3)福井藩領から幕府領となり、1820年(文政3)ふたたび福井藩領となった。幕府領時代の1720年(享保5)から48年(寛延1)までと64年(明和1)から1820年(文政3)までは福井藩の預所となっている。佐藤家は、代々八左衛門を称し、高塚村の庄屋を務めるとともに、福井藩領、幕府領時代に組頭(大庄屋)にもなり、また幕府領時代には、小島家(野中村)・重森家(蛸村)・土屋家(前谷村)などとともに、江戸・大坂への幕領米廻漕の責任者である納庄屋をいくども務めた家である。明治初年(1876・1877年)には戸長を務めている。
資料群の概要
約560点の文書を調査し385点を撮影した。当家には、納庄屋としての廻米関係の資料を中心に、年貢・用水普請・宗門改などの村方資料が残されている。幕領時代135年間のうち最初の15年間を除いて、1700年(元禄13)以降1819年(文政2)まで120年間の年貢割付状(6年分欠)と皆済目録(3年分欠)232点が残っている。
これ以外の152点のうち、廻米関係資料は43点あり、当家資料の特色となっている。このうち、1760年(宝暦10)前後の資料は、佐藤八左衛門が廻米に際し、郡中から選ばれて立合庄屋となり、各年、城米の川下げから積出しまでの間、三国湊に詰めて立合業務に従事した記録であり、廻漕船の配船や廻漕上の遵守事項など、城米が積み出されて江戸や大坂で蔵納にされるまでの手続きと経過について具体的に知ることができる。
また、当家資料では1787年(天明7)以降、大坂・江戸での蔵納が、郡中総代たちの入札請負によって遂行されたことが確認できるが、当家はこの郡中総代であったため、とくに文化年間の資料は、廻米御下げ米・諸入用銀・納庄屋就任など廻米をめぐる領内各村のさまざまな動きを伝えてくれる。ほかに、福井藩家中の馬調達に関する資料があり、越前村々の駒持仲間の一端をうかがうことができる。
否撮資料には1869年(明治2)から1940年(昭和15)にいたる「田畑歳貢諸勘定仕訳帳」(67冊)や、1736年(元文1)から1916年(大正5)の香典帳(20冊)などの家文書のほか、丈量野取帳(24冊)など明治初年の地租改正関係諸帳簿などもある。
これ以外の152点のうち、廻米関係資料は43点あり、当家資料の特色となっている。このうち、1760年(宝暦10)前後の資料は、佐藤八左衛門が廻米に際し、郡中から選ばれて立合庄屋となり、各年、城米の川下げから積出しまでの間、三国湊に詰めて立合業務に従事した記録であり、廻漕船の配船や廻漕上の遵守事項など、城米が積み出されて江戸や大坂で蔵納にされるまでの手続きと経過について具体的に知ることができる。
また、当家資料では1787年(天明7)以降、大坂・江戸での蔵納が、郡中総代たちの入札請負によって遂行されたことが確認できるが、当家はこの郡中総代であったため、とくに文化年間の資料は、廻米御下げ米・諸入用銀・納庄屋就任など廻米をめぐる領内各村のさまざまな動きを伝えてくれる。ほかに、福井藩家中の馬調達に関する資料があり、越前村々の駒持仲間の一端をうかがうことができる。
否撮資料には1869年(明治2)から1940年(昭和15)にいたる「田畑歳貢諸勘定仕訳帳」(67冊)や、1736年(元文1)から1916年(大正5)の香典帳(20冊)などの家文書のほか、丈量野取帳(24冊)など明治初年の地租改正関係諸帳簿などもある。
県史収載
資料編4 P.521-540 9点、通史編3 P.305-306、通史編4 P.220
県史以外の収載
『坂井郡古文書目録』 『金津町史』、阿部善雄「城米廻送よりみたる越前三国湊」『日本海海運史の研究』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
C0379~C0397
関連資料一覧
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