大湊神社文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0034
資料群名
大湊神社文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡安島浦,雄島村安島,坂井市三国町安島(三国町)
資料の年代
1598年(慶長3)~1870年(明治3)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
大湊神社は三国町安島の雄島に鎮座する式内社で、航海・漁業の守護神として崇敬をあつめた古社である。天正年中(1573-92)、織田信長の兵火にあって灰塵に帰し、盛時の社領をも失ったというが、1621年(元和7)福井2代藩主松平忠直が社領20石を寄進して再興し、今日に至っている。安島浦は、江戸時代を通じて村高561石余(うち20石大湊神社領)で、1686年(貞享3)年福井藩領から幕府領となり、1820年(文政3)ふたたび福井藩領となった。幕府領時代の1720年(享保5)から48年(寛延1)と1764年(明和1)から1820年(文政3)までは福井藩の預所となっている。
資料群の概要
社領・社格・祭礼等に関する近世以降の文書約70点を伝える。社領寄進状は1621年(元和7)松平忠直の再興時のほか、忠昌・光通・昌親・綱昌のものがあり、三保島(雄島)の支配および社内の准□観音開帳、雨乞祈祷などをめぐる滝谷寺竜泉院との争論、社殿修理や入会地陣ケ岡をめぐっての氏子である村方との関係を示す文書などがある。航海・漁業で生活する安島浦人は、その守護神である大湊神社を崇敬した。1709年(宝永6)の広野(陣ケ岡)をめぐる加戸村との争論文書では、安島浦について「何も船乗りニて三月より十月まで男共村ニ居不申、女童部共計ニ候」と述べており、また20年の「安島浦村鏡帳」でも、「此浦男女共海漁猟強く、かせき之間ニ農業相勤、又商売之ため商船乗、女ハ和布、神馬藻を取、所々へ売ニ参候」とある。また、同村鏡は陣ケ岡について、「草苅場広野、山剥之所、私領御料十ケ村入会草苅場取分不知」と記す。陣ケ岡村が成立するのは1884年(明治17)である。
否撮カードは、絵図写、棟札など5点。
利用条件
 
県史収載
資料編4 P.153-155 5点、通史編3 P.800
県史以外の収載
『坂井郡古文書目録』 『三国町史』
複製本番号
C0237~C0239
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。