管理セクション
福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0020
資料群名
御前神社文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡宮前村,本荘村宮前,あわら市宮前(芦原町)
資料の年代
1195年(建久6)~1907年(明治40)
資料目録件数
33
組織歴および履歴
当社は天津児屋根命を祭神として古くは春日神社と称していた。「越前国名勝志」によれば、保元年間(1156-59)、興福寺兼春日社領河口庄内の十郷に各郷それぞれ一社宛春日神社が勧請されたことを伝えているが、そのうち新郷に置かれたものが当社と考えられる。また同書によれば、河口庄の惣社であった本庄郷の春日神社が父神と称されたのに対して、当社は母神と呼ばれており、十郷十社のなかでもとくに崇敬されたようである。
当文書を所蔵する斉藤三郎右衛門家は、代々当社の神主を務めるとともに、庄屋などの村役も務めており、本来当家文書と呼ぶべき村方文書が混在している。宮前村は竹田川の南岸にあり、村高ははじめ229石余、1708年(宝永5)の検地によって238石余に増加。1686年(貞享3)福井藩領から幕府領となるが、1818年(文政1)福井藩領、20年再び幕府領となった。幕府領時代のうち、1743年(寛保3)から63年(宝暦13)をのぞいて福井藩預り領。
当文書を所蔵する斉藤三郎右衛門家は、代々当社の神主を務めるとともに、庄屋などの村役も務めており、本来当家文書と呼ぶべき村方文書が混在している。宮前村は竹田川の南岸にあり、村高ははじめ229石余、1708年(宝永5)の検地によって238石余に増加。1686年(貞享3)福井藩領から幕府領となるが、1818年(文政1)福井藩領、20年再び幕府領となった。幕府領時代のうち、1743年(寛保3)から63年(宝暦13)をのぞいて福井藩預り領。
資料群の概要
当社に伝存する、寛弘年中(1004-12)の内容の写しという「河口庄惣講田覚写」や、棟別銭・段銭の調符、織田信長・柴田勝家の禁制・定など近世以前の資料は、当社が置かれた新郷に関するものである。なかでも1554年(天文23)から72年(元亀3)にかけての3枚の棟別銭の調符(含写し)はめずらしく、この棟別銭は、朝倉氏一乗谷当主が府中奉行人を通じて賦課したものであり、徴収の名目が「急御用」「公方様御祈祷料」や近江出兵の「兵粮米」とされることから、段銭と違って臨時的な性格をもっていたことが知られる。
村方の資料は約100点調査されており、うち20点が撮影されている。1628年(寛永5)の「越前国坂井郡宮前村田畑検地水帳」以外は、幕末から明治初年にかけてもので、隣村との用水争論、村勘定・村役に関わる村内の争論などの資料、宗門改帳、地籍図などがある。否撮資料には、年貢割付・皆済状(20点)、戸籍簿(3点)などがある。
村方の資料は約100点調査されており、うち20点が撮影されている。1628年(寛永5)の「越前国坂井郡宮前村田畑検地水帳」以外は、幕末から明治初年にかけてもので、隣村との用水争論、村勘定・村役に関わる村内の争論などの資料、宗門改帳、地籍図などがある。否撮資料には、年貢割付・皆済状(20点)、戸籍簿(3点)などがある。
県史収載
『福井県史 資料編4 中・近世二』P.499-502 7点、『福井県史 通史編2 中世』P.656
県史以外の収載
『越前若狭古文書選』 『芦原町史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
C0261~C0262
関連資料一覧
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