大連彦兵衛家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0013
資料群名
大連彦兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡下番村,本荘村下番,あわら市下番(芦原町)
資料の年代
年未詳~1879年(明治12)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
下番村は竹田川下流左岸で十郷用水の江末にあり、かつては興福寺兼春日社領河口庄の中心部であったようで、河口庄の惣社であった春日神社も当村と中番村の境に現存する。江戸時代には、はじめ福井藩領、1686年(貞享 3)幕府領、1820年(文政 3)から再び福井藩領となる。村高は1241石余(「正保郷帳」)である。
大連家の先祖は、平安期に河口庄に春日神社が勧請された際、神輿に従って越前に下向した社家で、十郷用水の開鑿にも尽力したことが伝えられている(「越前国名勝志」など)。その後、大連家は彦兵衛(東大連)・三郎左衛門(西大連)の2家に分かれるが、江戸時代には両家とも十郷用水の井奉行(井守・井番・井役・堰守などとも称した)となり、本庄郷春日神社の神官をも務めた。大連彦兵衛家は、福井藩領の組頭(明和 6年以降は大庄屋)も務めている。
資料群の概要
当家文書においては、約470点を調査し、内375点を撮影した。これらは、時代毎に、(1)柴田勝家の頃から福井藩政初期にかけてのもの、(2)その後の江戸時代全般のもの、(3)明治期のものに大別される(11・16世紀の文書の写しが3点あるが、これは例外とした)。
(1)では十郷用水普請についての柴田勝家黒印状の他、十郷用水に関する下知状や定書などがある。これらは当時の民政を窺わせる数少ない資料である。
(2)においては、用水関係文書、組頭としての文書、神官としての春日神社関係の文書、大連家の家文書に分類できる。用水関係文書は当家文書の大部分を占めており(約200点)、十郷用水やその取入口である鳴鹿大堰所をめぐる普請・争論などに関する文書がある。この他、九頭竜川で行われていた簗漁に関する文書や、鳴鹿大堰所の藤杭入用に関する文書も含まれている。組頭文書としては、1838年(天保 9)の大庄屋組下村々の村明細の他、幕府巡見使や御用金、飢饉時の御救米などに関する文書も残っている。春日社の神官としての文書には、春日社の由緒に関するもの、春日社掟遵守の誓約書などがある。大連家の家文書としては、大連家の由緒書、帯刀御免の願書などがあるが、なかでも「家秘簿」は当家に残る1578年(天正 6)から1836年(天保 7)にかけての文書をもとに1860年(万延 1)に大連次郎兵衛国政が編年で整理したものである。十郷用水に関する基本的な資料といえよう。
(3)では、春日神社関係のもの、用水関係のもの、中番村・下番村入会地の地価帳などがある。また、1883年(明治16)4月の北陸自由新聞(71号・74号・77号)も断片ながら残っている。
約100点の否撮文書の中には、用水の普請・入用・割賦銀取立などに関する長帳類や、往来手形などの一紙文書、真宗関係の系図などがある。
利用条件
 
県史収載
資料編4 P.416-485 15点、通史編2 P.592、通史編3 P.35・P.125・P.139・P.248・P.262・P.359
県史以外の収載
『越前若狭古文書選』『芦原町史』『坂井郡古文書目録』「越前史料」、西(中野)節子「十郷用水における近世的用水管理体型の成立」『金沢大学法文学部論集』史学編20
複製本番号
C0133~C0167、C0590~C0591
備考
撮影上限寛弘年中
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。