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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0011
資料群名
土肥孫左衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡上金屋村,鳴鹿村上金屋,坂井市丸岡町上金屋(丸岡町)
資料の年代
1598年(慶長3)~1883年(明治16)
資料目録件数
158
組織歴および履歴
上金屋村は1624年(寛永1)以降丸岡藩領に属し、十郷・高椋・磯部・新江用水等の取入口である鳴鹿大堰の近くに立地する。村高は244石余である。当家の先祖は河口庄の成立期に春日神社の社家として南横地村(丸岡町)の七右衛門・下番村(芦原町)の大連三郎左衛門の先祖とともに十郷用水の開鑿に尽力したと伝えられる(「越前国名勝志」)。江戸時代には十郷用水の井奉行(井守・井番・井役・堰守とも称した)を務めており、丸岡藩の組頭(大庄屋)でもあった。
資料群の概要
当家では約200点の文書を調査し、内158点を撮影した。これらは大きく(1)丸岡藩の組頭としての文書、(2)用水の井奉行としてのもの、(3)土肥家の家文書の3つに分類できる。
(1)としては1598年(慶長3)の金屋村検地帳・99年の金屋村田畠小割帳・その後の内検地帳・巡見使関係の記録・御用金の組下村々への割付帳などがある。
しかし、所蔵文書の大部分は(2)の用水関係のものであり、なかでも鳴鹿大堰所の普請にあたっての見積・約定・諸経費の割当・争論などに関するものが多い。1751年(宝暦1)・1848年(嘉永1)の争論は江戸出訴にまで発展する大きなものであったようであるが、これらの和解証文などが残っている。また、九頭竜川では所々で簗漁が行なわれてきたが、これをめぐる楽間村や二ツ屋村との争論に関する文書もある。
そして(3)の家文書としては、由緒書・日記などが残っている。なかでも1770年(明和7)から1841年(天保12)にかけての日記には、1779年(安永8)の丸岡藩内の百姓一揆に関する記録も収録されている。なお、この他に、近代文書では、用水関係のもの・村高改帳写などが若干撮影されている。
約50点の否撮文書の中には、「鳴鹿用水三ケ郷御負証文帳」などの長帳類や売券などの一紙文書、巡見関係の冊子などが含まれている。
(1)としては1598年(慶長3)の金屋村検地帳・99年の金屋村田畠小割帳・その後の内検地帳・巡見使関係の記録・御用金の組下村々への割付帳などがある。
しかし、所蔵文書の大部分は(2)の用水関係のものであり、なかでも鳴鹿大堰所の普請にあたっての見積・約定・諸経費の割当・争論などに関するものが多い。1751年(宝暦1)・1848年(嘉永1)の争論は江戸出訴にまで発展する大きなものであったようであるが、これらの和解証文などが残っている。また、九頭竜川では所々で簗漁が行なわれてきたが、これをめぐる楽間村や二ツ屋村との争論に関する文書もある。
そして(3)の家文書としては、由緒書・日記などが残っている。なかでも1770年(明和7)から1841年(天保12)にかけての日記には、1779年(安永8)の丸岡藩内の百姓一揆に関する記録も収録されている。なお、この他に、近代文書では、用水関係のもの・村高改帳写などが若干撮影されている。
約50点の否撮文書の中には、「鳴鹿用水三ケ郷御負証文帳」などの長帳類や売券などの一紙文書、巡見関係の冊子などが含まれている。
県史収載
『福井県史 資料編4 中・近世二』P.737-769 15点、『福井県史 通史編3 近世一』P.302・P.331・P.358・P.363、『福井県史 通史編4 近世二』P.490・P.494・P.529
県史以外の収載
『坂井郡古文書目録』 『鳴鹿村誌』 『丸岡町史』 『福井県古文書所在調査報告書』 『新考坂井郡誌』 『春江町史』 『坂井町史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
C0044~C0056
関連資料一覧
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