受法寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0008
資料群名
受法寺文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡山窪村,長畝村山久保,坂井市丸岡町山久保(丸岡町)
資料の年代
1500年(明応9)~1848年(嘉永1)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
浄土真宗本願寺派。もと興行寺(上志比村)末。竹田川が加越山地から坂井平野に流れ出ているあたりの同川左岸に山窪村(現山久保)があった。当村は、はじめ福井藩領、1624年(寛永1)から丸岡藩領となり、306石の石高を有した。当村集落内北寄りに受法寺はある。
由緒書によれば、開祖は加賀江沼郡勅使村願成寺(石川県加賀市)住職の弟の顕崇で、寺地は、はじめ加越国境の市野々村(金津町)にあったが東田中村(同町)に移り、さらに現在地に移った。第4世修法の時の1603年(慶長8)、好善寺の寺号を下付された。
第5世寿法は丸岡藩主本多重昭の深い帰依を受け、参勤交代のお供をするなど彼の帰依心によく応えた。重昭は、好善寺の寺格昇進を西本願寺の寂如に懇請し、1762年(寛文12)、土佐国受法寺の浮寺号を受けることとなった。しかし、興行寺末からの離脱はならなかったようである。なお、浮寺号となった好善寺号は、後に覚円寺(今立町不老)に譲渡されている。
1869年(明治2)の調べでは当寺領3反7畝3歩。
資料群の概要
本多重昭や西本願寺寂如、西本願寺の坊官の書状類が中心である。1500年(明応9)の実如筆の方便法身尊像裏書をはじめ、顕如・准如の消息文などが中世末までの文書にみらる。近世の西本願寺の坊官の書状としては、受法寺の寿永に対し得度、住持職相続の免状、同じく寿成に対し内陣継目の免状などがある。本多重昭は西本願寺に多大の喜捨、進物を行っており、その関係の寂如が差し出した礼状がある。重昭の書状としては、坊官に対し好善寺の西本願寺内での座敷待遇の格上げ、好善寺の寺格昇進などについての礼状がある。
調査カードによると、否撮文書は、実如御文、住如法名下付覚、丸岡町浮小屋弥兵衛跡ノ件ニ付詫状である。資料編4の解題には40点程の文書が残存すると記されている。
利用条件
 
県史収載
資料編4 P.691-692 3点、通史編2 P.778、通史編3 P.165・P.691・P.703
県史以外の収載
『坂井郡古文書目録』 『丸岡町史』
複製本番号
C0020
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。