本専寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0003
資料群名
本専寺文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡山竹田村,竹田村山竹田,坂井市丸岡町山竹田(丸岡町)
資料の年代
1493年(明応2)~1892年(明治25)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
本専寺は浄土真宗本願寺派の寺院であり、古くは道場であったが、先祖空性は石山本願寺に籠城した顕如を助けて、石山本願寺に赴き討死したと伝える。その後この道場を空玄が継承、1602年(慶長7)開山影像や顕如影像の下付とともに本専寺の寺号を得たという。しかし、血脈を主張する正信との間に訴訟が起こり、山竹田の門徒も二分、54年(承応3)本専寺と光円寺(山竹田)に分寺した。ちなみに資料編収載の1598年(慶長3)「山竹田村検地帳」には「壱反二畝 本泉寺道場」とある。
資料群の概要
当寺には1602年(慶長7)の「顕如上人真影」の裏書のほか、由緒書、西本願寺宗門内の宗意惑乱に関する記録、寺院宛の諸法度写等20点の資料を所蔵する。なお、初出資料の1493年(明応2)「阿弥陀来迎仏画裏書」は目録カードに「真盛上人花押あり」とあるが写真版では文字の判別ができない。
宗意惑乱に関する記録、1811年(文化8)「文化未四月廿日金津御奉行所へ差上候願書并趣意書写」は、いわゆる三業派からの転向を意味する本願寺からの「四ケ条附紙」に請印した本専寺が、本山大遠忌のため上京したことにより、門徒が大勢馳集まるという事態に関連した資料であり、この騒動の一端について知ることができる。
地方資料として1598年(慶長3)「山竹田村検地帳」が注目される。山竹田村は、丸岡城の東方、竹田川上流の山間にあり、江戸時代を通じて福井藩領で、『越前国名蹟考』によると曾谷・中西・岡・嶋崎などの枝村を持っていた。村高は、この「検地帳」では先高547石余、出分355石余、合903石余であるが、正保郷帳では598石余で、別に山口吉谷村305石余が立てられている。さらにこの「検地帳」には名請人に木内名・田嶋名・十郎名などがあり、村高外に「此外」として除地分が与えられている。彼らは、中世以来の有力名主と考えられ、ほかの検地帳にはみられない記述となっている。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編4 P.785-796
県史以外の収載
 
複製本番号
C0018~C0019
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。