瀧谷寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
C0002
資料群名
瀧谷寺文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡滝谷村,三国町滝谷,坂井市三国町滝谷(三国町)
資料の年代
1382年(弘和2)~1870年(明治3)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
瀧谷寺は、滝谷村に位置し、性海寺と並ぶ当地方の巨刹で、江戸時代には越前・加賀の真言宗新義派の触頭をつとめた。近世末までは、醍醐寺報恩院末であったが、1894年(明治27)以降真言宗智山派。
1377年(永和3)に睿憲が創建し、81年(永徳1)に現在地に寺地を定めた。本尊は薬師如来。中世以降、当地方を支配した豪族堀江氏をはじめ、朝倉氏、柴田氏、さらに福井藩主松平氏、丸岡藩主本多・有馬両氏ら領主の祈願所であり、その保護を受けた。福井藩主松平氏からは境内地・山林の2町4反余、丸岡藩本多・有馬両氏から滝谷村内の門前畑・山6反7畝余の寄付を受けた。滝谷村は、はじめ福井藩領、1624年(寛永1)以降丸岡藩領であり、『越前国名蹟考』には、「滝谷村は丸岡領なれとも、滝谷寺は福井領なり」とある。建物は古く、重要文化財に指定されている鎮守堂(16世紀)をはじめとして、開山堂(1572年)、観音堂(1663年)、本堂(1688年)など多くの建物が残されており、本堂と観音堂の背後にある座観式林泉庭園は国の名勝に指定されている。平安時代後期作の金銅宝相華磬 (国宝)、鎌倉時代末期作の絹本著色地蔵菩薩像など多くの仏教美術品を蔵する。
資料群の概要
1506年(永正3)の越前・加賀一向一揆のとき、当寺の所蔵文書の一部が焼失したが、中世文書は200点を超え、その量は越前では突出している。中世文書は、(1)開山の睿憲に関するものをはじめ法脈、印可状、由緒、縁起など当寺に関するもの、(2)当寺の本寺にあたる醍醐寺報恩院の源雅関係の書状、(3)有力国人である堀江氏の寺領寄進状や朝倉氏一族・家臣の寄進状や売券など、(4)織田信長・柴田勝家、堀秀治の禁制や書状類、(5)門前百姓に関するもの、などに分類される。
近世文書は、(1)福井・丸岡両藩主からの禁制や寄進状など、さらに福井藩初期の重臣からの書状類、(2)性海寺との座論、(3)江戸公事におよんだ福井神明社別当寿福院との本末出入、(4)末寺の住持職などに関わるもの、(5)真言宗新義派の触頭に関するもの、(6)キリシタン類族の桶屋太右衛門に関するもの、(7)宗旨人別帳や出家人別帳、(8)日記・触留や諸記録類、などに分類される。(7)(8)をのぞいて、そのほとんどが一紙文書であり、書状が多い。(4)の末寺関係の資料は多く、1685年(貞享2)の末寺は14か寺、塔頭は5院であり、加賀大聖寺の慈光院をはじめ、丸岡の宝積院、松岡の宝泉院など福井藩領以外の末寺もあるため、大聖寺藩や丸岡藩の寺社奉行などとかわされた書状もみられる。また、(5)では宝永のころ福井木田の持宝院は古義派を主張し、新義派の触への請印を拒否するなどして相論におよんでいる。このほか、北潟の安楽院とも相論におよんでいる。
利用条件
 
県史収載
資料編4 P.276-340 163点、通史編3 P.12・P.13・P.23・P.25・P.27・P.34・P.48・P.163・P.289・P.573・P.629・P.637・P.638・P.643・P.647・P.649・P.655
県史以外の収載
『坂井郡古文書目録』 『越前若狭古文書選』 『三国町史』
複製本番号
C0001~C0016、C0700
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。