本覚寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
B0503
資料群名
本覚寺文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡東古市村,下志比村東古市,永平寺町東古市 (永平寺町)
資料の年代
年未詳~年未詳
資料目録件数
 
組織歴および履歴
東古市村は、九頭竜川左岸と同川支流永平寺川の谷口に位置する。江戸時代には、はじめ福井藩領、1645年(正保2)松岡藩領、1721年(享保6)に再び福井藩領となる。村高は583石余。
本覚寺は、和田山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。江戸時代は末寺22か寺を有し、門末5000といわれた北陸地方有数の大坊であった。開基については諸説あるが、親鸞-真仏-専海-円善と法脈を継いだ三河門徒系の信性を祖とするのが有力である。足羽郡和田庄(福井市)に寺基を定めたのは14世紀頃と考えられ、以後和田本覚寺として知られた。当初高田派であったが、1311年(応長1)本願寺3世覚如の教化をうけ、本願寺派になったという。信性の死後、門末は分裂、超勝寺(福井市)もこのとき分立したという。しかし本覚寺の勢いはいぜん強く、北陸一帯に門末を有していた。本願寺8世蓮如が吉崎(金津町)に北陸教化の中心、いわゆる吉崎御坊を建立したのも、本覚寺蓮光らの力によるといわれる。蓮光は蓮如の吉崎退去後、「吉崎殿」と称され、吉崎御坊の留守職を預かった。1506年(永正3)の一向一揆の後、本覚寺は加賀に逃れたが、その後越前に帰り、16世紀末堀秀政の頃、北庄柳町に移り、1659年(万治1)の大火で類焼後、表御堂町へ移った。1945年(昭和20)の空襲で焼失し、その後現在地に移った。
資料群の概要
当寺文書は、たび重なる災厄によってそのほとんどを失い、現在は本願寺法主の蓮如・実如・准如の消息類(いずれも年未詳)を残すのみである。ただ、「源空聖人御影」は蓮如が下付したもので、蓮如の花押を有しており史料としても貴重である。
資料編4収載の「本願寺准如消息」3点は、カードのみあり、フィルム・紙焼きはない。
利用条件
 
県史収載
資料編4 P.95-98 9点、通史編2 P.296・P.741・P.754・P.757-760・P.763・P.770・P.773-775・P.777-778・P.851・P.884・P.1001-1002・P.1007-1008
県史以外の収載
『永平寺町史』
複製本番号
B0112
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。