管理セクション
福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
B0037
資料群名
勝見宗左衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡上合月村,五領ケ島村上合月,永平寺町松岡上合月(松岡町)
資料の年代
1690年(元禄3)~1958年(昭和33)
資料目録件数
764
組織歴および履歴
当村は九頭竜川の中流、表川・裏川に囲まれた中州(五領ヶ島)の先端に位置する。はじめ福井藩領、1645年(正保2)より松岡藩領、1721年(享保6)より再び福井藩領となる。村高は、「正保郷帳」で田方114石余・畑方125石余の計240石余で、以降の諸帳も同高。立地上水害に悩まされるとともに、大用水の取水堰が集中することから、堰普請、川除普請に関する争論も多い。近世後期には冠水被害をうけた土地での木綿栽培に成功し「合月木綿」と呼ばれた。
当家は代々宗(惣)左衛門を称し、元禄年間以降庄屋などの村役を勤めたことが確認できる。幕末期には同村の戸枝太左衛門と並んで福井藩の大庄屋を勤めているが、関連資料はほとんどない。
2007年2月、福井県文書館に寄贈。
当家は代々宗(惣)左衛門を称し、元禄年間以降庄屋などの村役を勤めたことが確認できる。幕末期には同村の戸枝太左衛門と並んで福井藩の大庄屋を勤めているが、関連資料はほとんどない。
2007年2月、福井県文書館に寄贈。
資料群の概要
撮影資料は764点、否撮資料が22点。(1)近世庄屋文書、(2)近世末から近代の地主経営文書、(3)近世・近代の私文書に大別できる。
(1)では越石の多い下合月村を含めた年貢関係文書が多い。なかでも年代は確定されていないが、近世後期の「物成銀米納方」の通いが干支順に綴られた資料(B0037-00257~259など)は、洪水の被害を受け不安定な当村の収納状況を示している。そのほか宝暦年間(1751-64)の鳴鹿大堰に関わる争論、川除普請の願書、松岡への渡船場の普請に関する願書などがある。
(2)では下合月にも越石を持ち、当村きっての高持ちである当家の、安政期から大正期(1854-1926)にかけての田畑の耕作、金銭の出入を記録した「万卸帳」「大福帳」「万覚帳」(B0037-00725~750)がある。
(3)では元禄期以降大正期(1688-1926)に至る祝儀・不祝儀・普請・見舞などの金銭出入の記録や湯治の記録のほか、寺社参詣の記録、志納金の受領書、参詣土産の寺社縁起・境内図などに特色がある。
否撮影の資料は「石山軍鑑」などの写本や論語・中庸などの刊本、明治期の教科書など。
(1)では越石の多い下合月村を含めた年貢関係文書が多い。なかでも年代は確定されていないが、近世後期の「物成銀米納方」の通いが干支順に綴られた資料(B0037-00257~259など)は、洪水の被害を受け不安定な当村の収納状況を示している。そのほか宝暦年間(1751-64)の鳴鹿大堰に関わる争論、川除普請の願書、松岡への渡船場の普請に関する願書などがある。
(2)では下合月にも越石を持ち、当村きっての高持ちである当家の、安政期から大正期(1854-1926)にかけての田畑の耕作、金銭の出入を記録した「万卸帳」「大福帳」「万覚帳」(B0037-00725~750)がある。
(3)では元禄期以降大正期(1688-1926)に至る祝儀・不祝儀・普請・見舞などの金銭出入の記録や湯治の記録のほか、寺社参詣の記録、志納金の受領書、参詣土産の寺社縁起・境内図などに特色がある。
否撮影の資料は「石山軍鑑」などの写本や論語・中庸などの刊本、明治期の教科書など。
県史収載
 
県史以外の収載
『松岡町史』、相模誓雄「近世期の九頭竜川流域における御蔵所の空間構成に関する研究-福井藩と勝山藩の比較から-」(『日本建築学会計画系論文集』78 2013年)
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
劣化等保存上の理由から、原本は閲覧できません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
B0279~B0394
関連資料一覧
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