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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
B0035
資料群名
山室屋文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡椚村,松岡村椚,永平寺町松岡神明(松岡町)
資料の年代
1756年(宝暦6)~1989年(平成1)
資料目録件数
602
組織歴および履歴
椚村は九頭竜川中流左岸に位置する。近世初期は芝原江上村のうち。1645年(正保2)松岡藩の成立により、芝原江上村に城下町松岡の建設が進み、松岡八町が成立。残余の土地を室、椚、窪村に配分した。1721年(享保6)松岡藩が廃藩になり、藩士が福井へ引っ越しした後の松岡の町は、収入の道を失った町人を多く抱えて一時さびれるが、在郷町として発展し幕末を迎える。
有力商人であった当家は松岡の町民だけでなく志比地方など近郷の村々とも深い関わりを持っていた。また、明治期には助役や村会議員を務めていた。
2022年3月当館に一部寄贈。
有力商人であった当家は松岡の町民だけでなく志比地方など近郷の村々とも深い関わりを持っていた。また、明治期には助役や村会議員を務めていた。
2022年3月当館に一部寄贈。
資料群の概要
調査・撮影点数は602点。講に関するものや借用証文類が大半を占めている。
講に関する文書からは、大黒講、芦田非常講、和合出会講など種類が多数であったことがわかる。1857年(安政4)につくられた芦田非常講は、15名を以って組織し15か年を以って終わることになっていた。講銀は1口月50匁ずつ掛け、毎年6月に会合を開いてくじを行い、当たった者に定めた銀を与えていた。
借用証文類では、松岡の町民だけでなく吉田郡内の村々など広い地域から借銀を求められている。また、幕末には藩へ上納金を納めて紋附三ツ組の盃を拝領したり(00452)、永平寺に祈祷料金を納めて免状(00455・456)をいただくなど家が繁栄していたことを窺い知ることができる。
さらに、興味深い文書として福井藩士であった岡倉覚右衛門からの書状3通がある(00449-451)。覚右衛門は、明治期の美術界の指導者である岡倉天心の父である。これら3通は銀子請取状、手形売り払いの書状、冥加金賦課のための書状で、個人の借用金としては金額が大きい。福井藩の仕事に関係した借用と思われる。
明治期の文書も借用証文類が多い。他に松岡村助役や村会議員の当選状がある。また、当家と親戚関係にあった同じ松岡町の田中屋関係の文書も57点ある。
否撮カードはなし。
講に関する文書からは、大黒講、芦田非常講、和合出会講など種類が多数であったことがわかる。1857年(安政4)につくられた芦田非常講は、15名を以って組織し15か年を以って終わることになっていた。講銀は1口月50匁ずつ掛け、毎年6月に会合を開いてくじを行い、当たった者に定めた銀を与えていた。
借用証文類では、松岡の町民だけでなく吉田郡内の村々など広い地域から借銀を求められている。また、幕末には藩へ上納金を納めて紋附三ツ組の盃を拝領したり(00452)、永平寺に祈祷料金を納めて免状(00455・456)をいただくなど家が繁栄していたことを窺い知ることができる。
さらに、興味深い文書として福井藩士であった岡倉覚右衛門からの書状3通がある(00449-451)。覚右衛門は、明治期の美術界の指導者である岡倉天心の父である。これら3通は銀子請取状、手形売り払いの書状、冥加金賦課のための書状で、個人の借用金としては金額が大きい。福井藩の仕事に関係した借用と思われる。
明治期の文書も借用証文類が多い。他に松岡村助役や村会議員の当選状がある。また、当家と親戚関係にあった同じ松岡町の田中屋関係の文書も57点ある。
否撮カードはなし。
県史収載
 
県史以外の収載
『松岡町史』上巻、『生誕150年・没後100年記念 岡倉天心展』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
 
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
B0256~B0278
関連資料一覧
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