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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
B0021
資料群名
清水征信家文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡志比境村,下志比村志比堺,永平寺町松岡志比堺(松岡町)
資料の年代
1625年(寛永2)~1887年(明治20)
資料目録件数
157
組織歴および履歴
志比境村は志比堺とも書き、福井平野の東端、九頭竜川中流左岸段丘上に位置する。はじめ福井藩領、1624年(寛永 1)大野藩領(寛永10年から2年間福井藩預り)、82年(天和 2)幕府領となるが、1719年(享保 4)地内で分岐する芝原用水維持のため福井藩領にもどる。幕府領時代は光明寺組5か村の内に組み入れられていた。村高は226石余である。当村の特色として、村高をその時々の高持百姓の数で均等に分けていることがあげられる。
清水家は、代々杢右衛門・源介等を襲名し、庄屋役を務めた家柄で、当家文書の大部分はその関係文書である。
清水家は、代々杢右衛門・源介等を襲名し、庄屋役を務めた家柄で、当家文書の大部分はその関係文書である。
資料群の概要
当家文書は(1)庄屋役としての村方文書(2)清水家の家文書(3)鋳物師関係文書に分けられる。
(1)では幕府領であった元禄-享保(1688-1736)頃のものが比較的まとまっている。内容としては、貢租関係では割付帳や勘定帳・免割名寄帳・立毛合付帳・村入用帳、戸口関係では宗門改帳や五人組帳などである。ほかに福井藩領時代の明細帳なども残っている。
(2)ではおろし地をめぐる争論関係の文書がある。
(3)では越前国内の鋳掛職取締りに関する文書がある。志比堺村では小物成として鋳物師役を負担しており、1755(宝暦5)には鋳物師3人がいたことが確認される。清水家はその取締役を務めていたと思われ、注文先を示す文書も存在する。なお、1526年(大永6)の二階堂村(武生市)の白山神社梵鐘銘に 「越前国芝原椎境村住 清水四郎兵衛藤原吉次作」 とある。
ちなみに、1851年(嘉永4)清水四郎兵衛が鋳物師株を坂井郡鷲塚村久保庄右衛門に質入れしていることから、松岡鋳物師関係の文書が久保文苗家に残されている。
ほかに、近代のものとして、1887年(明治20)の「絹織工建物覚帳」がある。
文書番号0002-0004、0006-0010には枝番号がつけてある。これらは調査の際に別々に分けて整理されており、複製本上でもバラバラになっているが、原本はそれぞれ1冊に綴じられたものである。
否撮文書には、年貢関係の長帳類、銀子借用証文など約30点がある。
(1)では幕府領であった元禄-享保(1688-1736)頃のものが比較的まとまっている。内容としては、貢租関係では割付帳や勘定帳・免割名寄帳・立毛合付帳・村入用帳、戸口関係では宗門改帳や五人組帳などである。ほかに福井藩領時代の明細帳なども残っている。
(2)ではおろし地をめぐる争論関係の文書がある。
(3)では越前国内の鋳掛職取締りに関する文書がある。志比堺村では小物成として鋳物師役を負担しており、1755(宝暦5)には鋳物師3人がいたことが確認される。清水家はその取締役を務めていたと思われ、注文先を示す文書も存在する。なお、1526年(大永6)の二階堂村(武生市)の白山神社梵鐘銘に 「越前国芝原椎境村住 清水四郎兵衛藤原吉次作」 とある。
ちなみに、1851年(嘉永4)清水四郎兵衛が鋳物師株を坂井郡鷲塚村久保庄右衛門に質入れしていることから、松岡鋳物師関係の文書が久保文苗家に残されている。
ほかに、近代のものとして、1887年(明治20)の「絹織工建物覚帳」がある。
文書番号0002-0004、0006-0010には枝番号がつけてある。これらは調査の際に別々に分けて整理されており、複製本上でもバラバラになっているが、原本はそれぞれ1冊に綴じられたものである。
否撮文書には、年貢関係の長帳類、銀子借用証文など約30点がある。
県史収載
『福井県史 資料編4 中・近世二』P.3-32 12点、『福井県史 通史編3 近世一』P.298・P.332・P.782、『福井県史 通史編4 近世二』P.372-375
県史以外の収載
『福井県古文書所在調査報告書』 『松岡町史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
B0045~B0055
関連資料一覧
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