竹沢篤家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
B0015
資料群名
竹沢篤家文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡諏訪間村,志比谷村諏訪間,永平寺町諏訪間(永平寺町)
資料の年代
1800年(寛政12)~1854年(安政1)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
諏訪間村は永平寺川流域の志比谷西側山麓に位置し、北東は山村、北は法寺岡村、南は京善村に隣接する。当村から西へ越坂峠を越えて下吉野村(松岡町)に至る道は、永平寺参詣道として古くから親しまれていた。福井藩成立直後は藩重臣山川讃岐守の知行地であった。1645年(正保2)から松岡藩領、1721年(享保6)再び福井藩領。『永平寺町史』によると、1699年(元禄2)9月当村太兵衛、1724年(享保9)10月には同じく太右衛門が志比領村々を統括する組頭(大庄屋)の一人であったが、翌年以降清水村(上志比村)の組頭の支配をうけた。村高は「正保郷帳」によると803石余で、その後も変化していない。江戸時代後期には、このうち313石が尾高氏をはじめ8人の家臣の知行地であったため、年貢納入など複雑であった。
竹沢家は代々清右衛門を称し、庄屋・長百姓等を勤めた。
資料群の概要
撮影文書は7点。村の困窮を訴える願書や畔直しに関するものがあり、畔直しに関する文書には測量方法や負担の割方等が具体的に記載されている。また、給人であった尾高氏の借金の引当てに年貢米を下石田村(鯖江市)へ運ぶことになったことについて一札をとった文書や福井藩の武家奉公人である荒子を当家が請け負っていたことを示す文書がある。
否撮カードは困窮拝借米の願書や借用証文など12枚。
利用条件
 
県史収載
 
県史以外の収載
『永平寺町史』
複製本番号
B0034
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。