山本八右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
B0013
資料群名
山本八右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡轟村,下志比村轟,永平寺町轟(永平寺町)
資料の年代
1823年(文政6)~1876年(明治9)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
轟(どめき)村は城山の北東麓に位置し、北は飯島村、西は光明寺村、東は野中村に隣接する。枝村として浅野谷村がある。村名は珍しい名前であるがその起源は不明で、「正保郷帳」に初めて村名を見ることができる。はじめ福井藩領、1645年(正保2)松岡藩領、1721年(享保6)再び福井藩領。清水村(上志比村)の組頭(大庄屋)の支配に属した。村高は「正保郷帳」によると771石余、「天保郷帳」によると798石余。当村には、福井藩家臣松沢氏と尾高氏分100石ずつ、森田・筒井・榎木・大碕氏分50石ずつ計400石の知行地が設定されていた。
山本家は代々八右衛門を称し、轟村の庄屋などを勤めた。
資料群の概要
撮影文書は16点。いずれも19世紀以降のもので、(1)庄屋役としての村方文書(2)給人関係文書(3)絵図に分類される。(1)には、年貢免状や飯島村との山論に関するものなどがある。また、1850年(嘉永3)の「差上申締証文之事」は、当時極めて困窮していた村が藩の援助によって村の再建を図る仕法を計画したもので、興味深い。(2)は、給人の借金を年貢で納めるよう村に命じられた時の証文がほとんどで、給人から無理難題を押しつけられていたことがうかがえる。
なお、当村は飯島村と何度も地境論や山論を起こしており、その関連文書については飯島村の渡辺忠左衛門家(B0023)を参照されたい。
否撮カードは「轟村用水溜池普請諸色人足見積帳」「轟村字切画図など20枚。
利用条件
 
県史収載
 
県史以外の収載
『永平寺町史』
複製本番号
B0034
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。