小林又兵衛家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
B0011
資料群名
小林又兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡谷口村,下志比村谷口,永平寺町谷口(永平寺町)
資料の年代
1699年(元禄12)~1872年(明治5)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
谷口村は九頭竜川の南岸、城山の北西麓に位置し村内を勝山街道が通る。西は高橋村、東は花谷村に隣接している。鎌倉時代、志比庄地頭として道元の永平寺開創にも尽力した波多野義重の子孫長井永平が住んだという館跡が当村にあったと考えられている。また、結城秀康の越前入封とともに吉田郡志比谷口1万7000石に封ぜられた結城四老の一人山川讃岐守朝貞の屋敷があったとされ、「越前国城蹟考」は「谷口村之内二十間計四方之所」と記している。ただし、山川氏の居住地については、隣の花谷村にも伝聞がある。
「正保郷帳」によると村高761石余。「元禄郷帳」以降、勝山街道を境に南が上谷口村、北が下谷口村として分村し、村高上谷口村454石余、下谷口村307石余は廃藩まで変わらなかった。ともに1645年(正保2)福井藩領から松岡藩領になり、1721年(享保6)再び福井藩領。清水村(上志比村)の組頭(大庄屋)の支配に属し、江戸時代後期には福井藩家臣片山氏の知行地が50石、下谷口村にあった。
小林家は代々又兵衛を称し、上谷口村の庄屋などを勤めた。
資料群の概要
撮影文書は27点。ほとんどが19世紀後半の村方文書で村の様子がよくうかがえるものが多く、(1)村秩序に関するもの(2)村方出入に関するもの(3)他村との争論に関するもの(4)土地・貢租関係(5)絵図その他に分類できる。
(1)には、村八分や五人組、氏子規定に関する文書の他、勝山街道筋に家を建て商いをする者があり、村の秩序を乱すとして村法を設けたことがわかる文書がある。また、1687年(貞享4)の福井藩からの在方への条目を含む定書や福井藩の長州出兵に関する人足規定文書もある。「夫人足規定之事」には、長州出兵人足に対し藩の手当以外に村独自で別の手当を加えていたことが記されており、その負担については高割7分、家割3分としている。
(2)には、村が土木工事専門の雇人足(黒鍬)によって開田しようとしたことに対し、その費用負担に関して村方でもめ、花谷村の庄屋が仲裁に入ったことを示す文書や開田費用負担に反対した小前層の一味連判状がある。
(3)には、古市村や高橋村と共に利用していた諏訪間川から引く桜用水に関するものや九頭竜川をはさんだ鳴鹿山鹿村との梁漁などに関する文書がある。
(4)には、永平寺創建に貢献した波多野氏の子孫が波多野分として20石余を所持していたことを示す文書や年貢小割や物成に関する文書がある。
(5)には谷口村の村絵図がある。村の中央には寺や総社山があり、3ケ所の溜池と4本の用水路も描かれており、江戸時代の村の様子をうかがうことができる。その他の文書としては借用証文がある。
否撮カードは「御物成銀米納方仮通」や借用証文など10枚。
利用条件
 
県史収載
通史編4 P.915
県史以外の収載
『永平寺町史』
複製本番号
B0034
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。