大久保利一家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
B0007
資料群名
大久保利一家文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡市野々村(永平寺門前),志比谷村志比,永平寺町志比(永平寺町)
資料の年代
1647年(正保4)~1826年(文政9)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
市野々村は、九頭竜川支流永平寺川流域に位置する。江戸時代を通じて福井藩領で村高は735石余である。村高の内20石は永平寺の寺領であった。永平寺川の最上流に永平寺があり、同寺境内に属する地には古くから寺役をつとめる者たちによって門前が形成された。門前は、江戸時代には、労役を負担する百姓村と、大工役を負担する大工村とに分かれ、両門前とよばれた。『越前国名蹟考』には「門前村・大工谷村」と記されている。
大久保家は、大工村に住し、代々市左衛門と称した。由緒書上によると、永平寺19代門靏禅師の時、山門を建立した際の功により屋敷地を拝領し、小工役(飾物細工を中心とする仕事)に任じられ、永平寺より寺領山が扶持されていた。さらに、当家は山奉行を務めることもあった。山奉行は寺により指名され、1里四方に及ぶ永平寺の山林について管理した。両門前の人々はこの山林に大きく依存していたので、山奉行の役割は大きかった。
資料群の概要
当家では、約70点を調査し、内約50点を撮影した。多くは、(1)大工村を中心とする両門前の永平寺との関係や奉仕の内容、(2)両門前間の争論に関するものである。
(1)として、永平寺から門前に対して示された定書があり、これによれば永平寺と門前との関係は、当時の封建領主と百姓のそれに近かった事がうかがえる。なおこれに関しては永平寺文書にも一部関連するものがある。また、1797年(寛政9)に神明堂の前にある樫木伐採をめぐる永平寺と両門前との騒動がおこっているが、このときの諸経費を示す「村入用覚帳」が残っている。これによると両門前は一致して行動し、村入用として5月分だけで1軒に銀2匁1分6厘負担している。永平寺が領主の如く対した時、門前側も一揆をもって対抗したわけである(『永平寺町史』参照)。
(2)としては山奉行をめぐる両門前の争論の文書がある。これによると、1731年(享保16)以降、大工村も同村分の山奉行をおくことができるようになったことがわかる。
ほかに、大工村における大工役と小工役の由来や両者の名主役をめぐる規定に関する文書もある。
なお、『永平寺町史』では1620年(元和6)の「永平寺二十一世宗奕山宛行状」を初出としているが、この文書は調査されていない。
否撮文書には、山門建立の材木に関する帳面類、借金証文、願書類など約20点がある。
利用条件
 
県史収載
資料編4 P.71-83 10点、通史編3 P.801、通史編4 P.563、資料編14 P.278-282
県史以外の収載
『永平寺町史』
複製本番号
B0033
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。