赤井富士雄家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
B0003
資料群名
赤井富士雄家文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡清水村,上志比村清水,永平寺町清水(上志比村)
資料の年代
1677年(延宝5)~1901年(明治34)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
清水村は、九頭竜川中流域の左岸に位置し、南は勝山街道に接する。村高は281石余、はじめ福井藩領、1645年(正保2)松岡藩領、1721年(享保6)再び福井藩領となる。
赤井家は、はじめ吉田郡大野嶋村に居住し、その後清水村に移ったとされる。当家は代々吉右衛門を称し、清水村が福井藩領に戻ってからまもなくして組頭(大庄屋)となり、1761年(宝暦11)組頭制が廃止されるまで務めた。その後、69年(明和6)の大庄屋制度の復活にともない大庄屋となり、以後その役にあった。支配下の村むらの数は時期によって異なり、最も多い時期には現在の上志比村の21か村に加えて永平寺町内の7か村、大野市内の7か村の計35か村であった。
明治に入り、1874年(明治7)山王小学校の訓導を、76年には敦賀県第16大区の副区長を務める。また、81年には東北鉄道株主募集世話掛を務めている。
資料群の概要
赤井家は享保期(1716-35)頃から福井藩の組頭(大庄屋)を務めたので、その関係資料を中心として約800点を所蔵する。享保期以前の松岡藩領時代の資料としては、1699年(元禄12)の在々条目がある。当家の近世資料の内容は、(1)小舟渡用水普請関係、(2)組下村むらの願書上申や争論内済および戸口・寺社由緒等に関するもの、(3)福井藩の御用金や郷盛の徴集に関するもの、(4)洪水や荒所の起返しに関するもの、(5)幕府巡見使に関するもの、(6)心学者の廻村に関するもの、(7)天保期の救米やそれ以後の囲籾(義免)に関するもの、(8)九頭竜川での簗漁などに関するもの、(9)赤井家の私文書、など多様である。
明治期の資料は、(1)地券・地租改正に関するもの、(2)小舟渡用水組合に関するもの、(3)山王小学校に関するもの、(4)鉄道株式加入に関するもの、(5)赤井家の田畑経営に関するもの、などに分類される。
これらのなかで特色あるものをいくつかあげてみる。まず、1828年(文政11)九頭竜川対岸の大野郡伊知地村を中心にして現在の勝山市から永平寺町にいたる百姓たちが、支配領域をこえて一揆をおこした時の処罰に対する百姓側の請書があり、江戸の寺社奉行のきびしい取調べをうけたことがうかがえる。また、大庄屋組下村むらの1769年(明和6)からの庄屋・長百姓印鑑帳が十数冊残されており(うち13冊撮影)、これらから支配下村むらの変動を知ることができる。支配組下の村むらに関しては、大月村の村成立仕法関連や趣法講関連、東古市村・光明寺村の畦直し関連、欠落百姓関連、福井藩木本領の年貢米の松岡蔵への運送駄賃をめぐるもの、なども特色あるものである。このほか、福井藩の配付した農書である農稼業事抜書も残されている。心学関係では、小浜の森川小野八の廻村に関わった大庄屋の動きを知ることができる。
否撮資料約160点の内容は、川除普請関係・御用金関係・巡見使関係・義免籾関係・おろし帳などの冊子類や借用証文・組下寺院の年頭礼願などの一紙類などである。
利用条件
 
県史収載
資料編4 P.99-149 4点、通史編3 P.618、通史編4 P.153・P.235・P.399・P.510・P.594-595・P.597・P.698
県史以外の収載
 
複製本番号
B0056~B0101
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。