厳教寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0535
資料群名
厳教寺文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡上森田村,森田村上森田,福井市上森田町
資料の年代
1580年(天正8)~1901年(明治34)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
九頭竜川下流右岸の北陸街道沿いに集落を形成した森田村は、江戸時代を通じて福井藩領で上・下の2村に分かれていたが、両村で308石余あった。
上森田村にある当寺は浄土真宗本願寺派だが、撮影した文書によれば、もと天台宗で吉田郡上野村にあり、来迎堂教覚院と称していたが、朝倉敏景の末孫で出家した道順が1541年(天文11)に浄土真宗に転じて来迎堂厳教寺と改め(後年の弘治1年とする資料も)、1575年(天正3)類焼、81年(天正9)現在地に移ったという(「来迎堂厳教寺由緒」など)。一方、本願寺文書中にある91年(天正19)の本覚寺末寺帳には、モリダノ善乗という当寺の祖と考えられる人物が記載されており、当寺は本覚寺の末寺であったが、朝倉氏一族の道順が開基の天台宗来迎堂教覚院(跡地不明)の名跡を継いだものとも考えられている(『福井県の地名』)。
資料群の概要
1580年(天正8)の石山合戦終結直後ころと思われる長巻の「(本願寺顕如消息)」には、当地の尼入道志衆中から籠城中の本願寺へ送った懇志(物資・資金)に対しての礼が述べられてある。1601年(慶長6)の「(顕如上人真影裏書)」には「本覚寺門徒越前国吉田郡河合庄上森田厳教寺常住物也」とあり、当寺の経歴の一端がわかる。
他は冊子で当寺に関する系図・由緒・明細・宝物等の記録になっている。この中には、1573年(天正1)信長の越前侵攻直後、一向門徒が時宗や高田派に変わったことを記したものや、石山合戦中の本願寺に懇志を送ったことを記しているものがある。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
通史編2 P.769・777・778・999、資料編3 P.640
県史以外の収載
 
複製本番号
A0437
備考
撮影上限年代推定
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。