上田五兵衛家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0525
資料群名
上田五兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
福井城下石場下町,福井市足羽下町,福井市つくも
資料の年代
1809年(文化6)~1879年(明治12)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
石場下町は、九十九橋南詰に近い北陸道沿いの町。1871年(明治4)「検 地下絵図」によると、当家のほか、橘曙覧の生家正玄五三郎家や、石場の伝馬問屋で71年11月には福井最初の郵便取扱所がおかれた諸新平家などの大店が並んでいることがわかる。
当家は朝倉氏の家臣であったと伝え、朝倉氏滅亡後北庄へ移って商人となり、藩政時代には、御素麺屋の屋号で福井藩に出入りする麺類販売の御用商人となるが、藩政後期には京都伏見から養子に入った人が製薬を伝え、麺類と薬種を営業するようになった。1861年(文久1)には石場町組の輪番(町組の月番組頭)を務めたことが確認され、明治初年にも肆長・戸長などを務めている。
資料群の概要
撮影資料の約60点は、家業のほか、石場町組、福井医学所に関するものがある。なかでも町方文書は、戦震災で多くの資料を失った福井では貴重であり、たとえば1832年(天保3)「石場組家帳」には明治初年までの移動が貼紙で示してあり、また1809年(文化6)「石場下町大岩水道」は神宮寺下町の水源から石場上町・下町へと引水し、各家に分水する水道の図面で、とくに1900年(明治33)の分水工事の書込があることから、この水道が近代的な水道の普及(1924年)まで使用されたことをうかがわせる資料となっている。
なお資料編掲載の1861年(文久1)「(福井町方条目請書控)」は、1844年(弘化1)の町触を、同年4月の借屋地名子帳改めに際して、輪番はじめ町々庄屋・十人頭が誓約した請書で、他国他領からの奉公人・婿養子について厳重な身元調査が要求されるなど、城下居住についての厳しい制約が記されている。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
資料編3 P.374-381 2点
県史以外の収載
『福井市史』 『福井県立図書館郷土資料目録』
複製本番号
A0121~A0125
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。