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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0180
資料群名
宮崎長円家文書
地域(近世,行政村,現在)
福井市
資料の年代
1847年(弘化4)~1940年(昭和15)
資料目録件数
42
組織歴および履歴
宮崎家は福井市在住である。
松平文庫の「924(M127) 元陪臣 坤」に「宮崎為治」という人物の記載があり、宮崎為蔵氏と関係があるかと思われる。
2014年10月当館へ寄贈。元の所蔵者宮崎為次氏は2020年4月死去。
松平文庫の「924(M127) 元陪臣 坤」に「宮崎為治」という人物の記載があり、宮崎為蔵氏と関係があるかと思われる。
2014年10月当館へ寄贈。元の所蔵者宮崎為次氏は2020年4月死去。
資料群の概要
撮影資料42点には2つの系統があり、いずれも伝来の経緯がはっきりしている好資料である。
一つは、越前松平家の家臣中根靱負の子孫や鈴木主税の縁戚に伝わった資料が、仙石亮氏(福井県出身の鉱山技術者)の手をへて、その後宮崎為蔵氏(医師、長円氏の父)のもとに残ったもので、「御用日記」、春嶽和歌、同漢詩、鈴木主税・三条実美・佐久間象山らの書状などである。いずれも仙石氏の解説や来歴を記録した書き付けがともに残されている。
このうち「御用日記」は、1847年(弘化4)正月から3月にかけての側向頭取鈴木主税(重栄)の手控である。これは、松平文庫の706(M24-2)「少傳日録抄 」の後半、慶永代の御用日記(1838年(天保9)9月4日(在江戸)~41年(天保12)、43年(天保14)6月11日(初入国)~45年(弘化2)4月5日、45年(弘化2)11月1日~46年(弘化3)5月12日)に続くものである。
この「御用日記」については、1917年(大正6)に謄写したものが越前史料(X0145、国文学研究資料館蔵)の中にあり、それによれば末尾の3月5日後半から18日前半が欠落している。
もう一つは、戦時下に宮崎長円氏が軍医であった時期に入手した、日中戦初期、1937年(昭和12)の南京攻略の際の脇坂部隊関連資料、乃木希典・山県有朋・頭山満らの書などである。
一つは、越前松平家の家臣中根靱負の子孫や鈴木主税の縁戚に伝わった資料が、仙石亮氏(福井県出身の鉱山技術者)の手をへて、その後宮崎為蔵氏(医師、長円氏の父)のもとに残ったもので、「御用日記」、春嶽和歌、同漢詩、鈴木主税・三条実美・佐久間象山らの書状などである。いずれも仙石氏の解説や来歴を記録した書き付けがともに残されている。
このうち「御用日記」は、1847年(弘化4)正月から3月にかけての側向頭取鈴木主税(重栄)の手控である。これは、松平文庫の706(M24-2)「少傳日録抄 」の後半、慶永代の御用日記(1838年(天保9)9月4日(在江戸)~41年(天保12)、43年(天保14)6月11日(初入国)~45年(弘化2)4月5日、45年(弘化2)11月1日~46年(弘化3)5月12日)に続くものである。
この「御用日記」については、1917年(大正6)に謄写したものが越前史料(X0145、国文学研究資料館蔵)の中にあり、それによれば末尾の3月5日後半から18日前半が欠落している。
もう一つは、戦時下に宮崎長円氏が軍医であった時期に入手した、日中戦初期、1937年(昭和12)の南京攻略の際の脇坂部隊関連資料、乃木希典・山県有朋・頭山満らの書などである。
県史収載
 
県史以外の収載
 
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
劣化等保存上の理由から、原本は閲覧できません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
A4305~A4307
関連資料一覧
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