安達利雄家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0175
資料群名
安達利雄家文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡四十谷村,大安寺村四十谷,福井市四十谷町
資料の年代
1672年(寛文12)~1956年(昭和31)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
坂井郡四十谷村は、九頭竜川下流の左岸、丹生山地の北東端に位置する。江戸時代を通して福井藩領で正保郷帳で田方80石、畑方141石余、計222石余、天保郷帳で223石余であった。68年(明治元)で家数65軒、人数302人(05096)。
安達家は、農業の他に酒造業、製紙業や紙問屋を営んでおり、少なくとも1832年(天保3)から利兵衛が大庄屋役を勤め、喜作・利三郎・喜六(1841~82)まで4代にわたって大庄屋や札所元締助役、御内用達助役等を勤めた(「御国在方」松平文庫)。49年 (嘉永2)以降には、旗本本多大膳家領内の勝手方支配をまかされていた。
安達喜六は、敦賀県下で1874年改正の大区小区制において第13大区副区長になった。さらに79年(明治12)5月府県会規則による第1回石川県議会選挙に当選したが、病弱のため1か年で辞職。
資料群の概要
資料群は、(1)四十谷村の村方文書、(2)紙漉き・紙問屋・酒造業関係の安達家経営資料、(3)姻戚関係にあった福井藩士中根家関係資料に大別される。
(1)四十谷村は65軒中雑家が40軒を占め、その多くが「鼠半紙」「塵紙」などの再生紙の賃漉きに従事していた。こうした紙の生産は、古くは戦国時代の文書(勝授寺文書C0028-00003)にも見え、幕末には福井藩の殖産興業策として奨励されたものであり、趣法銀や冥加銀、拝借銀等の帳簿が一部残る。
ほかには、大安寺が支配する「御立山」に関連した証文類、溜池関連の証文、山形渡し舟関連の覚、松茸の産地であった四十谷村への山林方の達書などがある。反面、年貢関係の割当状や皆済状はほとんど含まれていない。
(2)としては、「御反古渡目并内入銀留」「御賃漉銘々金銀渡帳」「塵紙勘定留」等、賃漉関連の帳簿、酒造関連帳簿、焼酎密売等の始末書などがある。
また旗本本多大膳領の財政状態を示す「未御物成残・申御物成御勘定帳」「江戸運送金之覚」などの勘定帳類、代官島崎門兵衛や本多家家臣小林常右衛門・渡辺新八らの書状類が50点ほどある。
(3)福井藩士中根新家に伝わったと考えられる1869年(明治2)の松平春嶽側向の日記写「正二位様日記」、「御国御年限御式帳」、明治期の婚姻関連資料40点ほどが含まれている(宮崎長円家文書A0180-00017参照)。
調査方法として、福井市史が先行して行った調査目録を参照しながら整理したため、うち47点について対応する原本が見当たらなかったため撮影できなかった(『福井市史』資料編8掲載資料を含む)。
全般的に虫損が激しく資料の状態はよくない。
利用条件
 
県史収載
通史編4 p.26・27
県史以外の収載
『福井市史』資料編3・8
藤野立恵「旗本・本多大膳について」福井県立丸岡高等学校『研究紀要』5、1977年
複製本番号
A3985~A4083
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。