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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0141
資料群名
坪川家文書
地域(近世,行政村,現在)
足羽郡種池村,社村種池,福井市種池町
資料の年代
1698年(元禄11)~1934年(昭和9)
資料目録件数
1508
組織歴および履歴
足羽郡種池村坪川家文書は、越前福井城下近郊の富農かつ村役人・戸長であった坪川武兵衛と次代の三郎らにより形成された資料群である。出所の坪川家の所在する種池村は、足羽郡西部の浅水川沿いに位置する。近世の種池村の石高は413石、田方296石余、畠方116石余で、福井藩家老府中本多家知行所であり、村高のうち坪川家の持高は170石余で村高の4割以上に達する。
明治時代に作成された「坪川家家系図」(資料番号00499)によれば、先祖は戦国大名越前朝倉氏の家臣であったが、戦国時代末期の朝倉氏滅亡後種池村に移ったとする。近世においては種池村で農業に従事し庄屋を勤めつつ、地主経営を行った。近代においても種池村における坪川家の位置は大きく変わることはなく、明治4年(1871)には当主坪川武兵衛は福井県第十一区二番組合総代となり、明治5年には足羽郡第七区副戸長、その後は戸長や学務委員などを務め、地方行政の末端を担った。明治22年の当主坪川武兵衛の没後は、弟の坪川仁吉(二吉、三郎と改名)が坪川家当主となり農業と地主経営を営んだ。
坪川家当主・武兵衛と次代の三郎は、戸長や種池総代などの公職を勤めつつ大規模な地主経営を行う一方、道路の開削や学校への寄付を行うなど地域のために尽力するなど、いわゆる地方の名望家としての性格を持った。坪川家当主は、江戸時代から昭和時代まで一貫して種池村に居住した。
(調査歴)
昭和40年(1965)、坪川武雄氏から坪川家文書の一部が福井県立図書館に寄贈された(『福井市史』資料編9解題)。次いで昭和45年3月、福井県立図書館が坪川家文書所蔵者(坪川武雄氏)から購入した和書(書籍)165点は、「図書館貴重図書」と位置付けられた。その後、所蔵者から福井県立図書館へ数次にわたり古文書の寄贈が行われ(年次不明)、前述の和書とともに現在の資料群「坪川家文書」を形成した。2022年5月、坪川家文書は県立図書館併設の福井県文書館に移管。
明治時代に作成された「坪川家家系図」(資料番号00499)によれば、先祖は戦国大名越前朝倉氏の家臣であったが、戦国時代末期の朝倉氏滅亡後種池村に移ったとする。近世においては種池村で農業に従事し庄屋を勤めつつ、地主経営を行った。近代においても種池村における坪川家の位置は大きく変わることはなく、明治4年(1871)には当主坪川武兵衛は福井県第十一区二番組合総代となり、明治5年には足羽郡第七区副戸長、その後は戸長や学務委員などを務め、地方行政の末端を担った。明治22年の当主坪川武兵衛の没後は、弟の坪川仁吉(二吉、三郎と改名)が坪川家当主となり農業と地主経営を営んだ。
坪川家当主・武兵衛と次代の三郎は、戸長や種池総代などの公職を勤めつつ大規模な地主経営を行う一方、道路の開削や学校への寄付を行うなど地域のために尽力するなど、いわゆる地方の名望家としての性格を持った。坪川家当主は、江戸時代から昭和時代まで一貫して種池村に居住した。
(調査歴)
昭和40年(1965)、坪川武雄氏から坪川家文書の一部が福井県立図書館に寄贈された(『福井市史』資料編9解題)。次いで昭和45年3月、福井県立図書館が坪川家文書所蔵者(坪川武雄氏)から購入した和書(書籍)165点は、「図書館貴重図書」と位置付けられた。その後、所蔵者から福井県立図書館へ数次にわたり古文書の寄贈が行われ(年次不明)、前述の和書とともに現在の資料群「坪川家文書」を形成した。2022年5月、坪川家文書は県立図書館併設の福井県文書館に移管。
資料群の概要
坪川家文書は、大別すると(1)江戸時代後期の坪川家当主が種池村庄屋を勤めたことにより作成・授受された文書、(2)坪川武兵衛が明治前期に戸長を、坪川三郎が明治後期から大正期に種池総代・種池区長など公職を勤めたことにより作成・授受された文書、(3)坪川家の「家」としての活動に関わって作成・授受された文書、(4)その他の文書、からなる。
(1)については、江戸時代後期の種池村の年貢・諸負担や普請関係など村運営に関するものが多く含まれ、約200点を数える。
(2)については、戸長などとして受けとった布達類やその写し、戸長や副戸長としての実務に用いた戸籍関係資料や徴兵関係資料、地租改正関係資料を廃棄せずそのまま引き継いだもの、またはそれらをもとに坪川武兵衛が作成した資料が主なものであり、約600点にのぼる。なかでも明治4年(1871)に設置されそのわずか2年後に廃された足羽県の布達など、足羽県関係資料やその後の敦賀県関係資料を含んでおり、明治初期の地方行政を示す資料として貴重である。(3)は多岐にわたるが、多くの田畑を小作に下ろしている富農・地主であり、地主経営や地主の家としての活発な消費活動を示す資料、贈答や交際に関する資料など200点以上あり、これらは広義の家の経営に関する資料である。(4)は資料群の階層における位置が不明な資料で、(1)と(3)ないし(2)と(3)の内容をもつ、坪川家当主により作成された記録類や、作成された背景が不明な写本等その他の資料が含まれ、約300点以上を数える(うち102点は2022年4月まで福井県立図書館貴重図書「古典籍」として登録)。(4)のうち、坪川家当主により作成された「諸事附込帳」などの大部の「年帳」類は、詳細な記録を大量に含み、幕末・明治期の福井近郊の庄屋・戸長層の公私の動向を示すものとして重要である(年帳の一部は『福井市史』資料編9に「種池村行事留」「坪川家音信留」などとして収載)。また写本の多くは幕末・明治期に写されたもので、その奥書などから坪川家当主の母実家である丹生郡笹谷村渡部家の蔵本を写したとみられるものが多い。
否撮資料は638点であるが、それらの資料の情報も資料目録に収載した。
撮影の際、資料群番号をT0001としたが、目録では資料群番号A0141に修正した。また、文書番号00091-00161は00141-00207に変更した。
(1)については、江戸時代後期の種池村の年貢・諸負担や普請関係など村運営に関するものが多く含まれ、約200点を数える。
(2)については、戸長などとして受けとった布達類やその写し、戸長や副戸長としての実務に用いた戸籍関係資料や徴兵関係資料、地租改正関係資料を廃棄せずそのまま引き継いだもの、またはそれらをもとに坪川武兵衛が作成した資料が主なものであり、約600点にのぼる。なかでも明治4年(1871)に設置されそのわずか2年後に廃された足羽県の布達など、足羽県関係資料やその後の敦賀県関係資料を含んでおり、明治初期の地方行政を示す資料として貴重である。(3)は多岐にわたるが、多くの田畑を小作に下ろしている富農・地主であり、地主経営や地主の家としての活発な消費活動を示す資料、贈答や交際に関する資料など200点以上あり、これらは広義の家の経営に関する資料である。(4)は資料群の階層における位置が不明な資料で、(1)と(3)ないし(2)と(3)の内容をもつ、坪川家当主により作成された記録類や、作成された背景が不明な写本等その他の資料が含まれ、約300点以上を数える(うち102点は2022年4月まで福井県立図書館貴重図書「古典籍」として登録)。(4)のうち、坪川家当主により作成された「諸事附込帳」などの大部の「年帳」類は、詳細な記録を大量に含み、幕末・明治期の福井近郊の庄屋・戸長層の公私の動向を示すものとして重要である(年帳の一部は『福井市史』資料編9に「種池村行事留」「坪川家音信留」などとして収載)。また写本の多くは幕末・明治期に写されたもので、その奥書などから坪川家当主の母実家である丹生郡笹谷村渡部家の蔵本を写したとみられるものが多い。
否撮資料は638点であるが、それらの資料の情報も資料目録に収載した。
撮影の際、資料群番号をT0001としたが、目録では資料群番号A0141に修正した。また、文書番号00091-00161は00141-00207に変更した。
県史収載
なし
県史以外の収載
『福井市史』資料編9
『越前若狭地誌叢書 上』「越藩拾遺録」
『越前若狭地誌叢書 上』「越藩拾遺録」
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
 
利用上の注記(二次利用)
 
利用条件(文書館)
 
複製本番号
A2671-2725、A5323-A5326、A5506-A5688、A5777-A5806、A5892-A5901、A6023-A6048
関連資料一覧
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