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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0078
資料群名
山奥区有文書
地域(近世,行政村,現在)
足羽郡山奥村,木田村山奥,福井市山奥町
資料の年代
1687年(貞享4)~1950年(昭和25)
資料目録件数
174
組織歴および履歴
福井市街南西部にある足羽山の南東麓に位置し、福井城下南端の木田町に隣接する。江戸時代を通して福井藩領。村高は「正保郷帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」とも約1100石余(うち畑方149石)。
1872年(明治5)調査の『足羽県地理誌』では、59戸、266人(男120、女146)、1920年(大正9)72世帯、348人(男158、女190)、30年(昭和5)162世帯、1513人(男454、女1059)と、25年(大正14)の福井赤十字病院の開設、翌年の福井紡績(株)工場誘致もあり近代に入って急速に市街化がすすんだ。
36年(昭和11)10月には、福井市に編入された。
1872年(明治5)調査の『足羽県地理誌』では、59戸、266人(男120、女146)、1920年(大正9)72世帯、348人(男158、女190)、30年(昭和5)162世帯、1513人(男454、女1059)と、25年(大正14)の福井赤十字病院の開設、翌年の福井紡績(株)工場誘致もあり近代に入って急速に市街化がすすんだ。
36年(昭和11)10月には、福井市に編入された。
資料群の概要
1985年の調査では、段ボール7箱の所在が確認され、このうちの一部175点が撮影された。近世資料は約20点であり、過半が明治期以降の近代資料である。
主なものは、(1)用水・排水、(2)畦直し、(3)地租改正、(4)福井紡績(株)工場誘致などである。
(1)山奥村は足羽山と八幡山に挟まれた地形で雨水を含む悪水の排出に苦心しており、1798年(寛政10)以降、幕末から昭和期にかけて門前村、加茂河原村、若杉村等との排水路に関わる規定、願書類、絵図が残されている。大正期の耕地整理組合設立関連の書類も含まれる。
(2)割地に関連する村定証文は、1854年(嘉永7)のものが1点ある。割地慣行に関連し(3)では地目変更の願が出されている。
(4)では工場誘致のための誓書、錦華紡績(株)への願書、備忘録、堤防切開にともなう覚書などがある。
これ以外では、1859年(安政5)の雑用銀割未納者に関わる村方争論の証文、61年(文久1)の屋敷間数改野帳、91年(明治24)の山奥・花堂・木田地方の児童の豊小学校通学に関する約定書、節約・矯風に関する規約(1904年・1921年)、1918年の米騒動の際の寄付金の募集、廉売米受払、27年の福井市合併請願書などがある。
否撮影資料は、約410点でほとんどが長帳や冊子、袋入りの一括資料である。
主なものは、(1)用水・排水、(2)畦直し、(3)地租改正、(4)福井紡績(株)工場誘致などである。
(1)山奥村は足羽山と八幡山に挟まれた地形で雨水を含む悪水の排出に苦心しており、1798年(寛政10)以降、幕末から昭和期にかけて門前村、加茂河原村、若杉村等との排水路に関わる規定、願書類、絵図が残されている。大正期の耕地整理組合設立関連の書類も含まれる。
(2)割地に関連する村定証文は、1854年(嘉永7)のものが1点ある。割地慣行に関連し(3)では地目変更の願が出されている。
(4)では工場誘致のための誓書、錦華紡績(株)への願書、備忘録、堤防切開にともなう覚書などがある。
これ以外では、1859年(安政5)の雑用銀割未納者に関わる村方争論の証文、61年(文久1)の屋敷間数改野帳、91年(明治24)の山奥・花堂・木田地方の児童の豊小学校通学に関する約定書、節約・矯風に関する規約(1904年・1921年)、1918年の米騒動の際の寄付金の募集、廉売米受払、27年の福井市合併請願書などがある。
否撮影資料は、約410点でほとんどが長帳や冊子、袋入りの一括資料である。
県史収載
 
県史以外の収載
『福井市史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
閲覧できない資料あり。
複製本番号
A1102~A1115
関連資料一覧
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