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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0067
資料群名
福井県立図書館(石倉家旧蔵)文書
地域(近世,行政村,現在)
南条郡鯖波村,南杣山村鯖波,南越前町鯖波(南条町)
資料の年代
1583年(天正11)~1929年(昭和4)
資料目録件数
1466
組織歴および履歴
鯖波村は日野川左岸の北陸道の宿駅のひとつで、役馬は7匹であった。福井藩領に属し、村高ははじめ365石余、のち改出分60石余を含め426石余である。往還宿役により夫米や糠藁役はかからず、川除銀や道銀もなかった。小物成には雪垣代のほか馬借米2.06石、川役米0.5438石、山手米5.088石があった。1797年(寛政9)の宗門改帳によると、当村の家数63軒(うち高持14、不高持36、渡守13)、人数219人であった。
石倉家は猪右衛門を称し、鯖波宿の本陣をつとめ、問屋や村役人を兼ねることもあった。1796年(寛政8)の当家の持高は82石余。1874年(明治7)1月、敦賀県第6大区区長補助、76年第6大区小8区戸長となるなど、当地域の中心的役割を果たす。
当家の建物は1971年(昭和46)に金沢市の「江戸村」(現在は金沢湯涌江戸村)へ移築され、その際に文書類は県立図書館に移管された。
石倉家は猪右衛門を称し、鯖波宿の本陣をつとめ、問屋や村役人を兼ねることもあった。1796年(寛政8)の当家の持高は82石余。1874年(明治7)1月、敦賀県第6大区区長補助、76年第6大区小8区戸長となるなど、当地域の中心的役割を果たす。
当家の建物は1971年(昭和46)に金沢市の「江戸村」(現在は金沢湯涌江戸村)へ移築され、その際に文書類は県立図書館に移管された。
資料群の概要
1583年(天正11)の日野川の渡しに関するものを初出とする。江戸期の資料は18世紀以降の村方および宿駅に関するものである。村方の資料は(1)村定や触類、(2)宗門帳類、(3)貢租・土地関係、(4)用水出入、(5)山剥出入、(6)渡守・渡舟・橋川普請関係、(7)諸願書留帳、(8)巡見使関係、(9)売券、(10)義倉籾関係などに分けられる。
このうち(4)の用水には、湯尾村八乙女川から取水し鯖波・阿久和・中小屋の3か村立合用水である上・下門間用水、日野川筋鯖波村地籍から取水する牧谷(大井)用水、10か村組合用水の関用水などがある。これらの用水出入は、いずれも堰所普請・江筋堀・江料米等をめぐるものである。
(5)は奥野々村との出入である。
(6)は天正11年の資料にもみられるように、古くから往来していたと考えられる当村と日野川対岸の阿久和村・中小屋村などとを結ぶ渡舟に関するものである。1793年(寛政5)には、渡守と村方が給米等をめぐり出入となり、この訴訟に関する一連の資料からはこれ以前にさかのぼる渡守の各種の要求と、それに制限を加えてきた村方の対立の様子を知ることができる。当初4人であった渡守は、この頃には13人に増えていた。この後も、渡守の勤方をめぐり出入があり、「作場通行之一村切之橋」が掛けられるなどしていたが、渡舟の新造期をむかえた1843年(天保13)には渡舟を見合わせ丈夫な新橋を計画し、同年8月に完成した。なお、この普請費用はこれまで渡舟を利用してきた当村・阿久和村・中小屋村と田倉谷の13か村が負担した。
(7)の留帳は1811年(文化8)から60年(万延1)に至るもので、村の動向とともに宿人馬継立に関する触書・村定、宿の負担、荷物運送の実態などをよく伝えている。
宿駅関係では(1)宿法・荷運送定、(2)問屋職関係、(3)大名通行関係、(4)商人荷物運送関係、(5)馬借・人足勤関係などがあり、前記の諸願書留帳類とあわせてみることにより、北陸道の実状を知ることができる。なお、北陸道の交通については、坂井郡細呂木宿の森家文書(県立図書館蔵 A0142)とあわせてみることが必要である。
明治期の資料は当家が戸長を務めたことにより明治10年代にかけての様子を知ることができ、その内容は(1)布令書・布告書類、(2)戸長宛書類、(3)地租改正関係、(4)小学校関係、(5)戸籍関係、(6)徴兵・軍関係、(7)租税・営業税・民費関係、(8)戸長役場・村会関係、(9)運輸関係、(10)銀行関係などである。
(9)は明治に入り制度の変更により役割は縮小されたが、西南戦争に際し金沢から名古屋・大阪へ向かう兵の荷物継立の資料がまとまって残されている。
否撮資料は冊子類を中心に約1,000点。近世資料は、江戸時代後期の貢租、用水、山剥山、川除、大橋普請、おろし米、絵図(荒所改)、御用金などである。近現代資料は、明治期を中心に地租改正、租税・村費・区費関係、学校・警察・消防関係、用水、入会山、陸運、大川橋(聖橋)普請、借用証文類などである。
このうち(4)の用水には、湯尾村八乙女川から取水し鯖波・阿久和・中小屋の3か村立合用水である上・下門間用水、日野川筋鯖波村地籍から取水する牧谷(大井)用水、10か村組合用水の関用水などがある。これらの用水出入は、いずれも堰所普請・江筋堀・江料米等をめぐるものである。
(5)は奥野々村との出入である。
(6)は天正11年の資料にもみられるように、古くから往来していたと考えられる当村と日野川対岸の阿久和村・中小屋村などとを結ぶ渡舟に関するものである。1793年(寛政5)には、渡守と村方が給米等をめぐり出入となり、この訴訟に関する一連の資料からはこれ以前にさかのぼる渡守の各種の要求と、それに制限を加えてきた村方の対立の様子を知ることができる。当初4人であった渡守は、この頃には13人に増えていた。この後も、渡守の勤方をめぐり出入があり、「作場通行之一村切之橋」が掛けられるなどしていたが、渡舟の新造期をむかえた1843年(天保13)には渡舟を見合わせ丈夫な新橋を計画し、同年8月に完成した。なお、この普請費用はこれまで渡舟を利用してきた当村・阿久和村・中小屋村と田倉谷の13か村が負担した。
(7)の留帳は1811年(文化8)から60年(万延1)に至るもので、村の動向とともに宿人馬継立に関する触書・村定、宿の負担、荷物運送の実態などをよく伝えている。
宿駅関係では(1)宿法・荷運送定、(2)問屋職関係、(3)大名通行関係、(4)商人荷物運送関係、(5)馬借・人足勤関係などがあり、前記の諸願書留帳類とあわせてみることにより、北陸道の実状を知ることができる。なお、北陸道の交通については、坂井郡細呂木宿の森家文書(県立図書館蔵 A0142)とあわせてみることが必要である。
明治期の資料は当家が戸長を務めたことにより明治10年代にかけての様子を知ることができ、その内容は(1)布令書・布告書類、(2)戸長宛書類、(3)地租改正関係、(4)小学校関係、(5)戸籍関係、(6)徴兵・軍関係、(7)租税・営業税・民費関係、(8)戸長役場・村会関係、(9)運輸関係、(10)銀行関係などである。
(9)は明治に入り制度の変更により役割は縮小されたが、西南戦争に際し金沢から名古屋・大阪へ向かう兵の荷物継立の資料がまとまって残されている。
否撮資料は冊子類を中心に約1,000点。近世資料は、江戸時代後期の貢租、用水、山剥山、川除、大橋普請、おろし米、絵図(荒所改)、御用金などである。近現代資料は、明治期を中心に地租改正、租税・村費・区費関係、学校・警察・消防関係、用水、入会山、陸運、大川橋(聖橋)普請、借用証文類などである。
県史収載
資料編6 P.677-707 22点、通史編3 P.585・P.595・P.598-599・P.607・P.610・P779、通史編4 P.502・P.504・P.580・P.601・P.689・P.903、通史編5 P.58・P.63
県史以外の収載
『南条郡古文書目録』『南条町誌』『福井県古文書所在調査報告書』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
A0887~A0939、A2306~A2361、A2445~A2492、A2726
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