三崎玉雲家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0059
資料群名
三崎玉雲家文書
地域(近世,行政村,現在)
福井市
資料の年代
1529年(享禄2)~1907年(明治40)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
所蔵者である三崎玉雲家は、撮影文書の「(三崎家系図含朝倉氏系図)」によれば、朝倉一族の朝倉二代高景の四男、三段崎(みたざき)弼景を祖とする家で、16世紀の中ごろ三段崎安景の子の安指が谷野一栢の養子となり医術を修めて以来、代々医薬を業とし、朝倉氏滅亡後は足羽郡北庄に移った。
江戸時代には福井藩の侍医を務めた時期もある。
朝倉孝景書状など一部は寄贈され福井県立歴史博物館蔵。
資料群の概要
撮影した中世資料11点に貴重なものが多い。「俗解難経抄全(八十一難経抄)」は1529年(享禄2)に谷野一栢が一乗谷において流布本を補訂した書写の医書である。ちなみに、この医書は36年(天文5)に校訂のうえ『八十一難経』として一乗谷高尾で出版された。その際の版木の一部は敦賀市西福寺に現存する。
朝倉孝景英林の自筆書状は珍しく、北陸道関所の警固にあたっていたと考えられる朝倉氏家臣笠松氏宛に必要な指示を下しているものが2点あり、戦国大名として組織を整備して行く以前の朝倉氏当主と家臣の直接の結びつきが窺える。おそらく孝景が越前に下向する1468年(応仁2)閏10月以前のものであろう。
朝倉貞景の書状の中には、関所にて拘束した能登国から上洛中の僧を坂井郡の龍澤寺に移送するよう笠松氏宛に指示しているものがある。
朝倉孝景宗淳の書状の中には笠松氏宛に関所での書状の検閲を停止するよう指示しているものがあり、1506年(永正3)の加賀一向一揆の越前侵攻以来、1518年(永正15)に将軍足利義稙が前政所執事の伊勢貞陸を派遣して開放を指示するまで、朝倉氏は本願寺と加賀一向一揆の連絡を遮断すべく、加賀口の往還を禁止する措置を取っていたことがわかる。なぜ笠松氏宛の書状が三崎家に伝えられたかは明らかではない。
他には、柴田勝家との親しい間柄や、堀氏から町諸役を免じられ由緒ある医師ということで優遇されたことがわかる書状や、朝倉義景の和歌短冊がある。
近世のものは、治療の御礼目録、細呂木関所通行請状、切支丹宗門改、10世紀後半以降代々医薬の家として有名であった丹波氏よりの入門許可状、家訓、大砲鋳造等のための献金受取証、越知山への奉納品受取証、寿満様(福井藩主松平治好側室で次藩主斉承の生母・文政7年、斉承が将軍から1字もらい元服し、正式嫡子となるに及んで寿満殿から寿満様へ昇格)が来訪した折の供応記録、系図などである。
否撮カ-ドは11点で、掟鑑小児方、八十一難経関係、霊枢集、素問関係などの医書、その他安養寺寺記、三崎家供廻り控などがある。
利用条件
所蔵者に直接連絡をとることは避け、館を通して連絡すること。
県史収載
通史編2 P.658・819、資料編3 P.471-474 9点
県史以外の収載
『福井市史』『越前若狭古文書選』
複製本番号
A0453~A0454
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。