磯田嘉右衛門家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0053
資料群名
磯田嘉右衛門家文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡二日市村,河合村二日市,福井市二日市町
資料の年代
1905年(明治38)~1905年(明治38)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
二日市村は、日野川との合流点に近い九頭竜川右岸に位置する。江戸時代を通じて福井藩領で府中本多家の知行地であった。田方310石、畑方515石余の計835石余。1891年(明治24)当時、二日市の幅員東西10町・南北5町・戸数93・人口男225・女226・小舟2であった。
磯田嘉右衛門家は1905年(明治38)当時、二日市の区長を務めていた。
資料群の概要
1905年(明治38)5月7日、当時東京の麻生界隈に住んでいた杉田定一が河合村二日市区長の磯田嘉右衛門宛に親展の書留で送った書簡である。過日二日市で発生した火災の報に驚き、時節柄迷惑なことであり、お見舞いかたがた罹災者諸氏へ宜しく伝えてほしいとの見舞い状である。時節柄とは日露戦争のことか、よくわからない。親展・書留の手紙内容にしては通り一遍等の感がする。他に同封の書簡なり、見舞金なりがあったのかも知れない。
封筒には「東京麻生9貳」の番号票が貼られ、その上に麻生38-5の丸スタンプが押されてある。その当時、杉田は1904年(明治37)の第9回総選挙(福井市定員1・郡部定員4。直前に立憲政友会福井支部が分裂し脱会者が出て、立憲政友会候補としては2人立候補した)で立憲政友会から立候補、当選し、同会要職に就いていた。ちなみに、06年(明治39)1月に彼は衆議院議長に就任した。吉田郡は坂井郡に次ぐ彼の票田であったことがこの書簡の背景にあるのかも知れない。
否撮カードはない。
利用条件
 
県史収載
 
県史以外の収載
 
複製本番号
A0395
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。