加藤竹雄家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0052
資料群名
加藤竹雄家文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡二日市村,河合村二日市,福井市二日市
資料の年代
1686年(貞享3)~1954年(昭和29)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
二日市村は日野川との合流点に近い九頭竜川右岸に位置し、村高は835石余であった。江戸時代を通じて福井藩領であり、府中本多家の知行所(府中領)であった。九頭竜川の対岸江上村との間に渡船があった。
加藤家は、当村の庄屋であり江戸後期には大庄屋格の待遇をうけていた。明治にはいると小学校の訓導や戸長なども務めていた。竹雄氏の父親の源太郎は河合村の村長も務めている。
教育者の加藤竹雄氏は東京帝国大学農科を卒業し、1927年(昭和2)に福井県立福井農林学校の第9代校長に就任し、それより25年間農業従事者の育成に務めた。
2011年7月、寄贈。2014年5月、2015年8月追加寄贈。
資料群の概要
撮影文書は、約1700点(2011年寄贈1500点、追加寄贈200点)である。
1回目の寄贈資料は(1)渡船関係、(2)割地や用水の文書、(3)当家があつかい人として関与した争論文書、(4)庄屋としての村方文書、(5)父源太郎の河合村長時代の資料、(6)竹雄の県立農林学校(農林高等学校)校長時代の資料などに大別できる。
(1)では、安永期の渡船入用の盛帳や、文政から嘉永期の渡船新艘仕立の入用割賦帳など、(2)では嘉永期の畦直しの際の留帳などがある。
(3)では春近用水の「江縁柳伐」をめぐる争論や割地をめぐる争論などの済口証文がある(これらは(2)にも含まれる)。また、福井城下の魚仲買と浜方との争論や越坂峠(現在の永平寺町京善と松岡町吉野の境にある峠。福井城下から永平寺への参詣道が走る。恋坂峠とも書く。)の水茶屋をめぐる争論の済口証文も撮影されている。
(4)としては年貢・御用金関係の願書類など。(5)には堤防沿革略誌など春江堤防の築造に関するものなど。(6)では1933年(昭和8)に学校長をしていたため、当時昭和天皇を福井に迎えて行われた陸軍大演習の様子を伝える写真資料などがある。
ほかに、「三業惑乱ニ付宗旨安心愁状」や明治期の辞令、幕末から明治にかけての日記類などがある。否撮カードは大学の会員名簿や書籍類など42枚。
追加寄贈の資料は、(1)県内刊行の和歌詠草、(2)加藤竹雄氏関連資料、(3)手習手本、(4)県内刊行の刊行物に分けられる。
そのうち(1)には、橘曙覧が40代前半に編集し刊行した木版5点が含まれる。この5点により、曙覧の生前に編まれた和歌詠草が存在したことや、「わらや」の名称で曙覧が社中を主宰していたことが初めて確認できた。また(2)は加藤竹雄氏が農商務省勤務時代に、2度にわたり中国へ出張した際のもので、父源太郎氏に宛てた書簡が大半を占める。
否撮文書は蔵書等408点。
利用条件
 
県史収載
資料編3 P.633-639 5点
県史以外の収載
 
複製本番号
A3009~A3022、A3030~A3095、A3140~A3222、A3786~A3841、A4543、A4545~A4599
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
文書館に事前にお問い合わせください。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。