浄因寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0047
資料群名
浄因寺文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡下森田村,森田村下森田,福井市下森田本町
資料の年代
1613年(慶長18)~1873年(明治6)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
下森田村は、九頭竜川下流右岸に位置し、北陸街道沿いに集落を形成している。江戸時代は、福井藩領で村高は253石余である。
浄因寺は、由緒書によると、斯波義将の近侍として森田の地を与えられたという加藤景宗の長男宗豊(順西坊祐宗)を開基とし、2代道祐のとき居館を改めて浄因閣と称した。4代祐儀は織田信長の越前一向一揆平定のとき討死した。その子祐春は竹田山中に隠れていたが、森田に帰り仏閣を再興し、やがて浄因閣を浄因寺と改めた。
当寺は、浄土真宗本願寺派で、西本願寺の脇門跡である興正寺の末寺であった。1613年(慶長18)に「飛檐(ひえん)」という寺格に昇進している。境内に南鐘寺・永宗寺という塔頭(寺内寺院)を持っていた。
資料群の概要
撮影文書は、約90点であり、(1)書状類、(2)御堂再建関係、(3)塔頭・末道場・門徒関係、(4)由緒書類に大別できる。
(1)の中で、資料編収載の「横田可言書状」(撮影文書中の初出)や「川那部了治書状」は、当寺が「飛檐」に昇格したことに関わるものと思われる。(2)は、当寺の本堂が焼失した際(年不詳)、その再建に関わる願書などである。(3)では、塔頭寺への申渡のほか、末道場の寺号に関わるもの、門徒の宗旨関係の文書や寺送り状などが撮影されており、撮影点数としては(1)-(4)の中で最も多い。(4)の由緒に関わるものは、冊子など15点が撮影されている。
否撮カードは、浄因寺宛の書状類のほか、御堂再建の願書など70点余りがある。
利用条件
 
県史収載
資料編3 P.641-650 15点
県史以外の収載
 
複製本番号
A0396~A0397
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。