超勝寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0038
資料群名
超勝寺文書
地域(近世,行政村,現在)
吉田郡藤島村,東藤島村藤島,福井市藤島町
資料の年代
1698年(元禄11)~1975年(昭和50)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
藤島村は、吉田郡松岡の西、芝原用水沿いに位置する。「正保郷帳」に林村と合わせて「藤島林村」と記され、「元禄郷帳」では分離記載される。村高343石余。はじめ福井藩領。1645年(正保2)松岡藩領となり、1721年(享保6)再び福井藩領に戻り、以後変わらなかった。
超勝寺は、応永年間(1394-1428)和田本覚寺から分かれた門徒が本願寺6世巧如の弟頓円を迎えて藤島に1寺を建立したもので、浄光台超勝寺と称した。和田本覚寺と並ぶ越前本願寺派寺院中の大坊で、「藤島の超勝寺」と呼ばれ一向一揆にも旗頭として活躍した。近世初期本願寺の東西分派に際し、超勝寺も両派に分かれ、現藤島町には東西両派の超勝寺が並立するため、当寺を一般に東超勝寺と呼ぶ。宗宝も伝え、蓮如6歳の時の寿像という「蓮如鹿子の御影」が有名。
資料群の概要
撮影資料約130点の大部分は、由緒書・寺格昇進に関する口上書、本山との往復文書、寺法関係文書など直接当寺に関する資料であるが、資料編収載の1677年(延宝5)頃「福井御坊所院家古格覚」は、東御坊(真宗大谷派福井別院)創建の経緯や、創建に尽力した越前大小寺院の寺格を詳述した記録であり、また1781年(天明1)頃「覚(寺前村道場委細書)」は道場から寺院へ昇格する過程や、東御坊と末寺との関係、当時の厳しい寺法などが知られる資料である。
否撮文書は6点で「成唯□述記纂講巻」など書冊類。
利用条件
 
県史収載
資料編3 P.651-661 2点
県史以外の収載
 
複製本番号
A0283~A0288
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。