勝鬘寺文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0033
資料群名
勝鬘寺文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡風尾村,殿下村風尾,福井市風尾町
資料の年代
1316年(正和5)~1925年(大正14)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
風尾村は丹生山地北部の谷間にあって、越知山北西側から北東に流れてきた大味川が北西に流れを変える辺りに位置する。村高は田方3石余、畠方30石余で、近世を通じて福井藩領。
当寺は風尾の西山麓にあり、風尾山徳授院と号す。真宗高田派。斎藤実盛の一族唯明の開基と伝える。1316年(正和5)の「尼某山屋敷寄進状写」が残り、鎌倉末期ころの創建と思われる。高田派専修寺の跡目争いに敗れた真智を迎えて熊坂専修寺を建立した越前高田派大坊の一つで、朝倉方と加賀一向一揆との合戦の際は、勝鬘寺明秀ら高田派寺院が朝倉方にあって活躍したことが朝倉始末記にもみえる。1634年(寛永11)越前専修寺と伊勢専修寺が本末を争って伊勢方が勝訴した際、伊勢方に帰参し、このとき多くの門徒を失った。(以上『福井県の地名』の要約)。
資料群の概要
撮影資料の大部分が由緒書、寺明細などと、専修寺の訴訟関係資料。1635年(寛永12)「専修寺寺改帳」は、敗訴した専修寺の境内地が勝鬘寺支配となったため書上げられたもの。また1674年(延宝2)「一国一城之節一宗諷経之事」は、同年福井藩主松平光通が逝去したため越前諸寺院による千部経法事が執行され、このとき、高田派寺院に藩から下賜された施物配分覚。なお、前述の1316年(正和5)「尼某山屋敷寄進状写」は『資料編3』に収載されているが、マイクロフィルムも写真版も調査カードも存在しない。
否撮カード2点で「足引本尊略記」など。
利用条件
 
県史収載
資料編3 P.827-833 4点、通史編3 P.679
県史以外の収載
『福井市史』
複製本番号
A0352~A0353
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
原本の閲覧はできません。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。