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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0032
資料群名
毛利長仁家文書
地域(近世,行政村,現在)
坂井郡小野村,鶉村小野,福井市小野町
資料の年代
1598年(慶長3)~1885年(明治18)
資料目録件数
419
組織歴および履歴
坂井郡小野村は、福井市の北西、丹生山地の北麓に位置する。村高は253石余で福井藩領。1825年(文政8)では全村が芦田図書の地方知行地となっていた。
当家は吉兵衛・吉右衛門・平吉などを名乗っており、1668年(寛文8)に福井藩でいわゆる「百姓代官」が置かれた際の組頭73人のなかには小野村吉兵衛の名前がみられる(内藤源太郎家文書)。当家の資料からは1731年(享保16)以降、小野村七郎右衛門が組頭を務めていたことがわかる。
当家は吉兵衛・吉右衛門・平吉などを名乗っており、1668年(寛文8)に福井藩でいわゆる「百姓代官」が置かれた際の組頭73人のなかには小野村吉兵衛の名前がみられる(内藤源太郎家文書)。当家の資料からは1731年(享保16)以降、小野村七郎右衛門が組頭を務めていたことがわかる。
資料群の概要
1598年(慶長3)の検地帳の写がもっとも古く、全体としては、大半が享保期以降のものである。内容的には(1)大庄屋組・小野村関係、(2)波寄村定出作関係、(3)田頭村庵室厳休院関係、(4)家関係に大別される。
(1)「御用向書用留」は大庄屋が提出する諸帳面・願書類・諸証文の仕様・文案を記したものであり、天保期の大庄屋の職務内容をよく示している。また、近隣の村々での争論の扱人となったことも多く、18世紀半ば以降の願書、済口証文などが40点ほどある。幕府領三本木村と福井藩領21か村との山論(1819年)、東平村と羽坂村他2か村の一件では、調停日記が残されている。また、1866年(慶応2)8月に凶作から箕浦、松陰浦などで村人約400人が嘯集した一揆の口上書も含まれる。
小野村に関しては、割地関係で1759年(宝暦9)の「小野村地平均ニ付万究事留帳」など7冊があり、ほかに、隣村の串野村との用水普請の長帳類、年貢関係の長帳類が一部残されている。
(2)には当家が波寄村に所持した田3町1反の定出作についての諸証文が、1723年(享保8)から幕末まで約110通残されており、この控は資料編に掲載されている。
(3)には田頭村厳休院が当家の先祖卯兵衛の発願・寄付で庵室を建立したことから、什物帳・御堂普請銀入払帳が含まれる。
(4)の家関係では、借銀・預り銀証文、毛利平吉遺言状、帯刀免許状などがある。
否撮カードは約190点あまりで、一紙文書が約160点(質物書入証文など)、冊子・長帳類約30点(明治初期の寺院合併関係など)である。
(1)「御用向書用留」は大庄屋が提出する諸帳面・願書類・諸証文の仕様・文案を記したものであり、天保期の大庄屋の職務内容をよく示している。また、近隣の村々での争論の扱人となったことも多く、18世紀半ば以降の願書、済口証文などが40点ほどある。幕府領三本木村と福井藩領21か村との山論(1819年)、東平村と羽坂村他2か村の一件では、調停日記が残されている。また、1866年(慶応2)8月に凶作から箕浦、松陰浦などで村人約400人が嘯集した一揆の口上書も含まれる。
小野村に関しては、割地関係で1759年(宝暦9)の「小野村地平均ニ付万究事留帳」など7冊があり、ほかに、隣村の串野村との用水普請の長帳類、年貢関係の長帳類が一部残されている。
(2)には当家が波寄村に所持した田3町1反の定出作についての諸証文が、1723年(享保8)から幕末まで約110通残されており、この控は資料編に掲載されている。
(3)には田頭村厳休院が当家の先祖卯兵衛の発願・寄付で庵室を建立したことから、什物帳・御堂普請銀入払帳が含まれる。
(4)の家関係では、借銀・預り銀証文、毛利平吉遺言状、帯刀免許状などがある。
否撮カードは約190点あまりで、一紙文書が約160点(質物書入証文など)、冊子・長帳類約30点(明治初期の寺院合併関係など)である。
県史収載
資料編3 P.777-826 2点、通史編3 P.295、通史編4 P.739
県史以外の収載
『坂井郡古文書目録』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
A0149~A0170
関連資料一覧
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