片岡五郎兵衛家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0027
資料群名
片岡五郎兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
足羽郡合谷村,社村合谷,福井市合谷町
資料の年代
1570年(元亀1)~1922年(大正11)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
合谷村は、福井市の南西、日野川右岸の城山の裾部に位置する。村高は152石余、江戸時代を通じて福井藩領。1852年(嘉永5)の家数9軒(うち高持6軒)、人数43人。
当家の先祖は、朝倉氏の旧臣新開氏と伝えられ、同氏関係の中世文書6点を蔵する。当家は、江戸時代後期に福井藩の大庄屋を務めている。そのことを当家資料から最初に確認できるのは、1788年(天明8)であり、以後1830年(文政13)まで2代にわたり大庄屋を務めた。同家が大庄屋として支配していた村々は「合谷組」とよばれ、1788年当時は合谷村をはじめとしてその近隣周辺の37か村におよんでいた。1806年(文化3)ころ苗字を、26年「桐御紋上下」の着用を許された。明治に入り、70年(明治3)合谷村村長、73年6月敦賀県第43大区小2区の戸長、74年5月第10大区4小区2組の副戸長となる。
2004.7.1当館に寄託。
資料群の概要
当家の資料は、先祖とされる新開氏に関する中世文書と、当家が福井藩の大庄屋を務めていた頃を中心とした近世文書、戸長などを務めていた明治期の文書に大別される。
大庄屋役時代の資料には、組下の村々にかかわる出入内済や支配下村以外の出入の内済あつかいに関するもの、村方からの藩への願い、村方騒動に関するもの、村方成立趣法に関するもの、福井藩の御用金・冥加金・御頼講に関するものなどがある。村方騒動については、今市村の内容がよくわかり、興味深い。村方成立趣法では、合谷村、角折村、恐神村、江守中村、里別所村などのものがある。この趣法による「増励」は、恐神村や角折村では男は草鞋、女は布綛を、江守中村では男女ともに菅笠を作ることになっている。御用金等については、1802年(享和2)の江戸常盤橋上屋敷焼失による御用金、06年(文化3)再度の常盤橋上屋敷類焼による御頼講、09年の江戸増上寺の「火之御番」による家掛銭、11年の朝鮮来聘使にかかわる高役金上納、13年御趣法御頼講上納銀、19年(文政2)江戸霊岸島中屋敷普請にかかわる冥加講、24年御趣法御頼母子講など相次いで課された様子を知ることができる。これらのほか、1791年(寛政3)の福井藩の菜種専売に関するもの、1814年の福井藩の「糸繭冥加金趣法改」に関するものがあり、後者からは冥加金上納と引き替えに株札が渡されることになり、合谷組内の村々に繭仲買26人、糸売買8人、繭問屋3人がいたことがわかる。農政面では、福井藩が1817・19年に領内に配布した農書「農稼業事抜書帳」に関するものもある。
明治期の資料には、1870年(明治3)の御用留から77年にかけての御達・諸通達類がある。このほか、地租改正に関するもの、合谷村等の村明細帳や物産取調帳などがある。
寄託時に追加された資料には、近世文書では、借用・質入証文やおろし関係など当家の経営に関するものなどがあり、明治期の資料には、敦賀県布令、諸願伺書、租税・賦課金関係、地籍関係、戸籍関係、寄留関係のほか、当家の貸借差引帳・おろし帳などがある。
利用条件
 
県史収載
資料編3 P.484-535 23点、通史編3 P.45・P.239・P.283・P.310、通史編4 P.80-81・P.172・P.235-237・P.273・P.279・P.519・P.523・P.575・P.578-579・P.585、通史編5 P.79
県史以外の収載
『越前若狭古文書選』 『福井市史』
複製本番号
A0171~A0207、A2748~A2777、A2910~A2935
備考
資料番号00466は欠番。
利用上の注記(原本閲覧)
文書館に事前にお問い合わせください。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。