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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0009
資料群名
加藤源内家文書
地域(近世,行政村,現在)
足羽郡二上村,下文殊村二上,福井市二上町
資料の年代
1581年(天正9)~1893年(明治26)
資料目録件数
268
組織歴および履歴
二上村は福井市の南、文殊山の北麓に位置し、福井城下から文殊山参詣道の本道にあたる(『越前国名蹟考』)。村高470石余、福井藩領。1763年(宝暦13)には菅沼・芦田・太田・宇都宮・岡部の5氏の、また1823年(文政6)でも、芦田氏ほか4氏の相給知行所となっている。
加藤家は近世初期から代々庄屋役を務めた家柄である。
加藤家は近世初期から代々庄屋役を務めた家柄である。
資料群の概要
撮影した当家文書約270点の約半数は庄屋役にかかわる山方、用水、土地、出入、貢租、給人などに関する文書で比較的古い時代の一紙文書に特色がある。1581年(天正9)「木おとし弥介山証文之事」では柴田勝家支配下で山手銭が徴収されていたことがわかり、『福井市史』はこの文書を村方における内済証文の最も早い例としている。また1616年(元和2)「山出入済証文」は江戸前期の村方騒動の最も早い例とされる(『通史編4』)。背後の山で村人が請負った坂鳥猟、および福井藩が設定した鷹場に関する文書も多く、「指上申ねこ一札之事」も鷹場の規定に基づくものである。なお当家は福井藩主の鷹狩りの際の休憩所にあてられた。
用水関係では、1599年(慶長4)「(用水江ニ付約定書)」は隣村飯田(半田)村の庄屋・年寄から二上村庄屋・惣百姓宛に、村内に江筋を通すことを認め、かつ江代を取らないと定めた一札で、内容・書体などに研究の余地があるが、真ならば結城秀康入封以前の庄屋設置の事例となる(『通史編3』)。また1809年(文化6)「(二上村周辺田地用水図)」は逆方向に流れる用水と排水を底樋を利用して調節している様子を描いている。「越前国足羽南郡二上村御検地帳」には小字名が記載されており、当村が奈良時代は東大寺領糞置庄の庄域に含まれていたと考えられることから、古代条里制や近世の畦直しなどとも関連して注目される。
借用証文は、1636年(寛永13)から1858年(安政5)まで約140点を撮影した。
否撮文書は約30点。近代の戸籍簿、地租改正関係書類のほか、「越前国郷帳」(寛政12)、「越前国城跡考」「越叟夜話」などがある。
用水関係では、1599年(慶長4)「(用水江ニ付約定書)」は隣村飯田(半田)村の庄屋・年寄から二上村庄屋・惣百姓宛に、村内に江筋を通すことを認め、かつ江代を取らないと定めた一札で、内容・書体などに研究の余地があるが、真ならば結城秀康入封以前の庄屋設置の事例となる(『通史編3』)。また1809年(文化6)「(二上村周辺田地用水図)」は逆方向に流れる用水と排水を底樋を利用して調節している様子を描いている。「越前国足羽南郡二上村御検地帳」には小字名が記載されており、当村が奈良時代は東大寺領糞置庄の庄域に含まれていたと考えられることから、古代条里制や近世の畦直しなどとも関連して注目される。
借用証文は、1636年(寛永13)から1858年(安政5)まで約140点を撮影した。
否撮文書は約30点。近代の戸籍簿、地租改正関係書類のほか、「越前国郷帳」(寛政12)、「越前国城跡考」「越叟夜話」などがある。
県史収載
資料編3 P.536-560 19点、通史編3 P.46 P.288、通史編4 P.515
県史以外の収載
『足羽町の古文書』、『福井市史』、藤田恒春「『駒井日記』と駒井重勝:祐徳文庫本「駒井中書日次記」巻二の紹介」(『史林』70(1) 1987年)
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県文書館では原本は収蔵しておりません。代替物(写真複製本・画像)をご利用ください。
利用上の注記(二次利用)
福井県文書館に事前にお問い合わせください(0776-33-8890)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
A0027~A0033、R0001
関連資料一覧
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