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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0215
資料群名
河崎家文書
地域(近世,行政村,現在)
福井城下,福井市,福井市
資料の年代
1671年(寛文11)~1960年(昭和35)
資料目録件数
162
組織歴および履歴
福井藩士河崎家に伝来した資料。
初代・三郎助宗鋪は、福井藩士・溝口市左衛門勝重の子で、のちに吉江藩主松平昌親の母・高照院の御老女中河崎の養子となった。吉江藩士として召し出されたのは、明暦元年(1655)のことという。その後、昌親の本藩相続にともない、福井藩士となり、歴代の知行高が100~150石の間で推移しながら廃藩置県を迎えた。6代致高は、松平慶永の寵愛を受け、橘曙覧の門人であり、また篆刻にも長けていた。歴代当主は以下の通りである。
初代・宗鋪(三弥・三郎助)明暦元年召出
2代・重員(祖之介・小十郎・七左衛門・三郎助)享保2年6月26日家督
3代・勝承(十之助・三郎助)享保12年11月29日家督
4代・勝煕(仲六・小十郎・三郎助)天明8年10月16日家督
5代・栄寿(増吉・三郎助・清兵衛)文化元年4月5日家督
6代・致高(房次郎・三郎助)安政2年11月11日家督
7代・勝寿(熊治)明治2年12月18日家督
1968年に県立図書館に寄託、2018年に県文書館に寄託先を変更。
初代・三郎助宗鋪は、福井藩士・溝口市左衛門勝重の子で、のちに吉江藩主松平昌親の母・高照院の御老女中河崎の養子となった。吉江藩士として召し出されたのは、明暦元年(1655)のことという。その後、昌親の本藩相続にともない、福井藩士となり、歴代の知行高が100~150石の間で推移しながら廃藩置県を迎えた。6代致高は、松平慶永の寵愛を受け、橘曙覧の門人であり、また篆刻にも長けていた。歴代当主は以下の通りである。
初代・宗鋪(三弥・三郎助)明暦元年召出
2代・重員(祖之介・小十郎・七左衛門・三郎助)享保2年6月26日家督
3代・勝承(十之助・三郎助)享保12年11月29日家督
4代・勝煕(仲六・小十郎・三郎助)天明8年10月16日家督
5代・栄寿(増吉・三郎助・清兵衛)文化元年4月5日家督
6代・致高(房次郎・三郎助)安政2年11月11日家督
7代・勝寿(熊治)明治2年12月18日家督
1968年に県立図書館に寄託、2018年に県文書館に寄託先を変更。
資料群の概要
資料点数は162点。
近世資料では、歴代当主宛ての知行宛行状や知行書出、勤書の伝来がよく、それらをもとにした詳細な家系図も伝わる。近代以降では家族の学校での修業証書や写真、辞令などが多く、藩籍を削られて神職の養子となった致高の弟・山十郎関係の書簡も多く含まれる。伝来の経緯が不明な写真、本紙のない包紙、印や文書箱など一部は否撮とした。
近世資料では、歴代当主宛ての知行宛行状や知行書出、勤書の伝来がよく、それらをもとにした詳細な家系図も伝わる。近代以降では家族の学校での修業証書や写真、辞令などが多く、藩籍を削られて神職の養子となった致高の弟・山十郎関係の書簡も多く含まれる。伝来の経緯が不明な写真、本紙のない包紙、印や文書箱など一部は否撮とした。
県史収載
 
県史以外の収載
 
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
 
利用上の注記(二次利用)
 
利用条件(文書館)
 
複製本番号
 
関連資料一覧
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