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福井県立若狭歴史博物館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
O0134
資料群名
河原林文書
地域(近世,行政村,現在)
近江国高島郡今津村,高島郡今津村,高島市今津町
資料の年代
1583年(天正11)~1585年(天正13)
資料目録件数
4
組織歴および履歴
河原林家は近江国高島郡今津(現在の滋賀県高島市今津町)を拠点に活動した家。記録によると文禄4年(1595)、のちに金沢藩主となる前田利家によって初代・甚六が今津村・弘川村(いずれも同町)の支配を命じられたのが初見である。このとき10石の給米も与えられた。その後、寛永20年(1643)には二代目・甚右衛門が「今津」の苗字を与えられ、それ以降は今津氏を名乗ったという。河原林家は江戸時代を通して今津浦に代官所を置き金沢藩領の代官として村の支配にあたったが、自身も琵琶湖の湖上交通に従事しており、寛文5年(1665)には今津浦で最大規模の船持であったとされる。
資料群の概要
河原林文書は近江国高島郡今津村(現:滋賀県高島市今津町)の河原林家に伝来した古文書群。「史料」としての初見は江戸中期(寛文~享保ごろ)に遡る。当時今津村の領主であった加賀藩藩主・前田綱紀が領内の古文書を採集した際、「江州今津甚右衛門伝書」として筆写されている。明治・大正期にも複数回筆写が行われたが、それ以降原本の所在はわからなくなっていた。本資料群に含まれる4通は平成に入って「発見」されたもので、本来の河原林文書はさらに多くの古文書からなる資料群であったと思われる(残りはなお所在不明のまま)。
いずれも今津の問屋に宛てられた文書で、若狭から近江へ向かう荷物の独占を認めるものや通行税に関する規定を定めたものなど、若狭と近江を結ぶ流通に関する内容を含む。例えば「羽柴秀吉判物」では、若狭へ往来する荷物やそれらを運ぶ船は今津浦へ着岸させることが認められ、今津浦が若狭と近江の間で行き交う荷物を独占的に扱っていたことが窺える。
いずれも今津の問屋に宛てられた文書で、若狭から近江へ向かう荷物の独占を認めるものや通行税に関する規定を定めたものなど、若狭と近江を結ぶ流通に関する内容を含む。例えば「羽柴秀吉判物」では、若狭へ往来する荷物やそれらを運ぶ船は今津浦へ着岸させることが認められ、今津浦が若狭と近江の間で行き交う荷物を独占的に扱っていたことが窺える。
県史収載
『福井県史資料編2中世』P.587
県史以外の収載
『今津町史』
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
福井県立若狭歴史博物館に事前にお問い合わせください(0770-56-0525)。
利用上の注記(二次利用)
福井県立若狭歴史博物館に事前にお問い合わせください(0770-56-0525)。
利用条件(文書館)
 
複製本番号
 
関連資料一覧
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