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 第五章 大正期の産業・経済
   第二節 絹織物業の展開
    一 工場制工業への転換
      輸出向羽二重生産の推移
 明治三十七年(一九〇四)の輸出向羽二重の生産は、日露戦争開戦のため海外よりの思惑買いがあり、前年比三六パーセント増の約三三〇〇万円と明治期を通じてのピークに達した。二十年代半ばから急成長をとげてきた輸出向羽二重生産は、これ以降、停滞期を迎えることとなり、三十七年の生産額を超えるのはようやく大正二年(一九一三)になってからであった(図55)。
図55 輸出向羽二重生産額(明治38〜大正14年)

図55 輸出向羽二重生産額(明治38〜大正14年)

 四十四年刊行の農商務省『輸出絹織物調査資料』は、この輸出向羽二重生産の停滞要因として、粗製乱造・精練上の欠陥による製品の信用失墜とともに、つぎの四つをあげている。
 (一) 欧米諸国の不景気
 (二) フランスの関税改正
 (三) 日本の物価・賃金上昇による生産コストの増大
 (四) アメリカを中心とする欧米機業界の発達による競争品の出現
 四十年の世界的恐慌やフランスの関税率引上げも輸出停滞の要因ではあったが、アメリカを中心とする欧米において、力織機導入によって絹織物業が急速な発展をとげていたことは、何より日本の輸出向羽二重業の死活を左右する大問題であった。三十八年十一月の『日本絹業協会月報』も「本邦賃銀は年と共に漸次騰貴の傾向を有し、其手工の精致も外国に於ける器械の発明によりて、永く其独特の長所を維持する能はざる」と輸出向羽二重業の危機を訴えていた。
 輸出向羽二重業のこうした停滞状況を打開するため、福井県においても生産コストの低減をはかるための手織機に代わる力織機の導入が急がれていた。この力織機の導入は、機業の経営形態に大きな変化をせまるとともに、電力の供給を不可欠としていたため、発電所の建設が急務とされた。
 このようななか、図55にみられるように福井県の輸出向羽二重業は、生産額においては全国趨勢と同様の動きをみせるが、そのシェアにおいては漸増傾向を示した。さらに第一次世界大戦期の爆発的輸出増加のなかでも、六〇パーセント台を維持し、大正八年の輸出向羽二重生産のピーク時には、福井県の生産額だけで約八〇〇〇万円に上っていたのである。



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