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 第四章 大正デモクラシーと県民
   第二節 民衆運動のたかまり
     二 労働問題と労働運動
      明治末から大正初期の労働事情
 日露戦後社会では、無賠償・外債累積・重税という条件のもと景気は不況を基調に推移し、政府は重税に苦しむ国民の不満を緩和するため、日露戦後経営の一環として官製の地方改良運動を進めていた(第二章第三節二)。そのようななか、東京・大阪などの大都市だけでなく、地方都市においても都市化がはじまり、それと結びついた電力・電気鉄道などの公益事業が勃興しつつあった。
 福井市においても、公益事業などに従事する労働者が増えはじめるとともに、輸出向羽二重を生産する絹織物業も力織機化が進展し工場制工業への転換がはじまり、斯業に従事する職工にも労働者としての自覚が高まっていた。また、一方では車力、車夫、大工、下駄や傘の職人などいわゆる都市雑業層の人口増加も目立っていた。このようななか日露戦後以降明治四十三年(一九一〇)ころまでは、物価がほぼ停滞傾向を示すなか、賃金は微増していた。ところが、四十四年から大正二年(一九一三)にかけて、物価が激しく上昇するにもかかわらず、賃金はほとんど上がらなかった(『県統計書』)。そのため、この時期には、賃金や労働条件をめぐって雇用者・被雇用者の間に労働争議が引き起こされるようになる。



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