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 第五章 教育と地方文化
   第二節 地方文化の展開
    二 夢楽洞万司
      商品としての絵馬
 夢楽洞の絵馬の図柄は、最もポピュラーな馬図(繋馬・曳馬)を含め、実にバリエーションに富んでいる。各種の物語図や、各々にいわれのあったと思われる動物図・吉祥図・社参図など、現在わかるかぎりでも図柄の種類は数知れないほどである。
 物語図では、現存する数の多いものを時代に沿ってあげると、「巴御前」「平敦盛と熊谷直実」「宇治川合戦」「篠原合戦」などの源平合戦の名場面、「大江山の鬼退治(酒呑童子)」「富士野の巻狩」「橋弁慶」「鞍馬天狗」「坂田金時」「和藤内(国性爺合戦)」「紅葉狩」「羅生門」「大織冠」「狐の嫁入り」、さらに「勘平腹切」「一力茶屋」「討入」などの忠臣蔵の名場面、「白石仇討」「信玄と謙信」などが代表的な作である。これらは当時の草双紙や能・狂言、歌舞伎、浄瑠璃、謡曲の題材によく見かけるものである。三都での芝居見物や、旅芝居・村芝居の興行でも親しまれた内容であったろう。画面には、隈取りをしたり、にらみをきかせたり、手をかざしたり、人物の表情や身ぶりの描き方に歌舞伎絵そのものを思わせるものが多くある。
 動物画では、鴬・雀・鶏・鳩・狐・猫・兎・鯰などが見られる。いまわかる範囲では、鯰の場合には、虚空蔵菩薩の使者「鰻」に代わる生き物であるという民間信仰があったらしい。例えば丸岡町女形谷では、皮膚病(「なまず」と呼んだ)の完治や安産の礼に鯰図の絵馬を「お堂」に奉納する風習があったようだ。また、福井市三十八社の泰澄寺には、泰澄伝承に由来してか、雀図の絵馬が集中的に奉納されている。さらに、稲荷神社には概して狐図の絵馬が多い。そのほかについては、今のところ信仰と図柄の関係を示す特定の傾向はみられない。
 このほかに、恵比須・浦島太郎・天狗・海運船(船絵馬)・三番叟・社参・御神酒などの図柄もあった。そのうち社参図・御神酒図は、幕末から明治期にかけて流行したものらしく、安産・子安の願掛けが盛んであったといわれる堂や社にたくさん残されている。
 このように夢楽洞は、客の多様なニーズに答えるように豊富な品種をそろえ、既製品や受注品の販売を行っていたのである。材料は軽量な薄手の杉板に、「泥絵具」といわれる比較的安価な顔料を多用している。大量生産によっていっそうコストを下げ、安さと手軽さとで、庶民層に売り込んだのであろう。やや時期は少し下るが、明治十六年末の『福井新聞』には、「元小田原町にまんしと云へる絵師のあり、店に八島壇之浦の合戦を初めとして、楠正成湊川にての討死、武田上杉川中島にての手合等、見るが如くに画きし絵馬額のかけあるに、こいつハ銭のいらぬに面白見せものじや、姉も兄さんも見んか見んかと大勢の集ひし」との記事がみられる。唯一、店先の光景を伝える史料であり、店頭にいくつか絵馬を掲げて、客の目を引いていたことがわかる。



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