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 第五章 教育と地方文化
   第一節 藩校と庶民教育
    一 越前・若狭の藩校
      藩校の開設
 藩校は、おもに家臣とその子弟の教育のために藩主が設けた学校であり、早いところでは寛永年間(一六二四〜四四)に創設されたものがあるが、全国的に藩校が設立され始めるのは宝暦(一七五一〜六四)期以降であり、松平定信による寛政の改革を契機に設立された藩校も多い。
 若越諸藩における開校の時期も全国的な流れの中にあり、後期から幕末にかけてである。安永三年(一七七四)の小浜藩順造館を最初として、文化元年(一八〇四)の丸岡藩平章館、同十一年の鯖江藩進徳館、文政二年(一八一九)の福井藩正義堂、天保十二年(一八四一)の勝山藩読書堂(成器堂)、同十四年の大野藩明倫館、嘉永六年(一八五三)の府中立教館の順に開設された。この時期、各藩は藩政改革に必要な人材を育成することが急務であった。幕末期には外圧に対抗するうえにおいても、藩校では儒学教育のみならず兵学・医学などの洋学が取り入れられ、文武両道の実践化が求められた。

表141 若越の藩校

表141 若越の藩校




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