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 第三章 商品の生産と流通
   第三節 日本海海運と越前・若狭
    二 西廻海運の展開と越前・若狭
      「北国船」と「はがせ船」
 ところで、これまで北国海運に従事していた「北国船」(以下、船型を指して使用)や「はがせ船」は、ともにオモキ造りという日本海側で独自に発達した技術でつくられた廻船であった。前者は日本海の鋭い波に対応したまるい形状の船首、ドングリのような形の船体で、規模は一〇〇〇石積以上あり、船梁が少ないので木材を積むのに適していたという。後者は岩礁の続く海岸に対応した厚く丈夫な船底で、それは川湊への出入りに適した川舟のような平底であり、横長の帆を備えて、規模は七〇〇石積から八〇〇石積程度であったという(「和漢船用集」)。両者とも莚帆を使用し、風のないときには櫓や櫂を使用する漕帆兼用であったため、乗組員を多く必要とした。
 一方、地廻り海運に従事した小廻り船は、漁猟に従事していた漁船が兼用されていた。これも船型としては「はがせ船」あるいは「てんと船」が使用されたが、商船用の「はがせ船」と比べて規模は小さかったものと思われる。なお、これは「どんな難風でも冬春に渡海することが可能」であったとされるが、それは漕帆兼用だったからであろう(港町漁家組合文書)。



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