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 第二章 農村の変貌
   第三節 農業技術の発展と農書
    一 品種改良と肥料
      越前・若狭の作物
 福井藩では享保二十年(一七三五)に、福井藩領と幕府領福井藩預所の産物を大庄屋に書き出させた。これを集計した「越前国福井領産物」「越前国之内御預知産物」(松平文庫)によれば、稲は早稲・中稲・晩稲、餅の早稲・中稲・晩稲合わせて一八二種、大麦一七種、小麦一六種、大豆三五種、小豆一五種、大角豆二六種などとなっている。
 江戸初期またはもう少し遡って戦国期の南伊予の農業を伝えるとされる『清良記』に記載されている、稲九六種、大麦一二種、小麦一二種、豆類二四種、小豆一一種、大角豆一八種と比べると、いずれも多くなっており、江戸中期になって品種もいよいよ多様になっていることがわかる。ちなみに、九頭竜川下流域の坂井郡野中組では、表62のような作物を書き上げている(小島武郎家文書)。この後も百姓たちは、新しい優れた品種は次々と採用して生産の向上を図っていったようである。

表62 享保20年(1735)坂井郡野中組の作物

表62 享保20年(1735)坂井郡野中組の作物

 稲の品種を例にとると、坂井郡野中村で文化六年(一八〇九)に作付された品種は、「岡本、畝田、はや弥六、大原、をくて弥六、皆済、をくてもち、たいと」の八種であり、享保二十年には作付されていなかった「岡本、畝田、大原、皆済」などが登場している。
 また、享和元年(一八〇一)から慶応二年(一八六六)までの六六年間の内一六年分の作付品種がわかる若狭三方郡久々子村については、享和元年に「但馬餅、あつた、よしの、つぎよし、善光、たんご、加も川、いせ白、奥州、つつみ、しん徳、松原」の一二種、慶応二年に「銭掛ケ餅、錦餅、たまき、たんばわせ、荒玉、大吉」の六品種が作付されており、六六年間には六〇種もの品種が作付されている(加茂徳左衛門家文書)。そして、これらの品種名は越前の享保二十年のものとは随分異なっている。地域によって同じ品種に対する呼び名が異なっていたことも考えられるが、地域により時期により様々な品種が取入れられていたといえよう。
 越前・若狭で作付されたこれらの品種の内には、「ほつこく(北国)」「さいこく(西国)」とか「いせ白(伊勢)」「但馬餅」「丹波やろく(弥六)」「かわち(河内)」などの地名をもった品種や、「小三郎」「藤四郎稲」「四郎兵衛稲」「佐助稲」など人名がつけられたものもある。これらは、おそらく新品種が生みだされた土地や、推奨した者の名前がつけられたものであろう。良質な品種であれば、百姓たちはすばやく受け入れ、迅速に全国的に伝播したものと思われる。



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