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福井県文書館
目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
A0220
資料群名
出口滋彦家文書
地域(近世,行政村,現在)
 
資料の年代
1970年(昭和45)~1999年(平成11)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
出口家については不詳。
2022年10月、当館寄贈。
2022年10月、当館寄贈。
資料群の概要
資料は3点(撮影はしていない)。いずれも福井第五五工場やその関係者に関するもの。
舞鶴海軍工廠は施設を空襲から守るため1944年(昭和19)末に福井市の足羽山の地下に工場疎開することを決めた。45年(昭和20)初頭から先遣隊による測量にもとづいて小森部隊が笏谷採石場(石切り場)を中心にさらに奥深く掘り、福井第五五工場などを建設した。工場数は不明であるが、同年6月にはまだ突貫工事は続けられていた。基礎工事には技能のすぐれた大工、石工、鳶職、坑夫、土工が選抜配置され、つづいて各町内、職場の勤労奉仕隊や動員学徒、予科練生たちが連日約1,000人動員されて、掘った土石の運搬にあたった。刑務所の服役者も100人くらいずつ出動していたという。また、工場には事務を手伝う女子挺身隊員約20人が働いていた。なお、町内会の勤労報国隊員を引率して入坑した福井市の書記が、同年6月4日に深さ20メートルの縦坑に墜落して殉死している(『福井県史』通史編6 近現代二)。
舞鶴海軍工廠は施設を空襲から守るため1944年(昭和19)末に福井市の足羽山の地下に工場疎開することを決めた。45年(昭和20)初頭から先遣隊による測量にもとづいて小森部隊が笏谷採石場(石切り場)を中心にさらに奥深く掘り、福井第五五工場などを建設した。工場数は不明であるが、同年6月にはまだ突貫工事は続けられていた。基礎工事には技能のすぐれた大工、石工、鳶職、坑夫、土工が選抜配置され、つづいて各町内、職場の勤労奉仕隊や動員学徒、予科練生たちが連日約1,000人動員されて、掘った土石の運搬にあたった。刑務所の服役者も100人くらいずつ出動していたという。また、工場には事務を手伝う女子挺身隊員約20人が働いていた。なお、町内会の勤労報国隊員を引率して入坑した福井市の書記が、同年6月4日に深さ20メートルの縦坑に墜落して殉死している(『福井県史』通史編6 近現代二)。
県史収載
 
県史以外の収載
 
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
劣化等保存上の理由から、原本は閲覧できません。
利用上の注記(二次利用)
 
利用条件(文書館)
 
複製本番号
 
関連資料一覧
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